
テヘランに着いて最初のアポイントメントは、イランの文化部の委員長でした。事務所に伺い、ご挨拶をさせて戴きました。イラン建国記念音楽フェスティバル(文明間の対話)の詳細をお話し頂き、再びホテルに戻りました。関係者との打合せもしながら、色々な事がスムーズにいかない感じは心に気にかかりながら、招待されてこちらからどの様に動いていいかも分からずに従うよりなく、次のアポイントメントまでの待機時間がとても長くなりました。私はこの度、いだきしん先生がコンサートに向けて書かれた趣意書「熱誠」の意味が分かりたく、井筒俊彦先生の「イスラーム」という本を日本から持ってきました。待機する時間、ホテルの部屋の中で本を一心に読み進めました。イランでは内面深くを感じる事が出来、とても物事に集中出来ます。本を読む事も周りの音が一切入らず、本に書かれている世界に没頭してゆけます。とても豊かなひと時でした。本を読み進める内に、いだきしん先生の書かれた「熱誠」という意味が分かる事が出来ました事が大変うれしい事でした。コンサートが只々楽しみでした。コンサートの日がやってきました。会場に着いて驚きました。とても汚れていたのです。そして、埃っぽくて空気も悪く、気持ちの悪い所でした。ピアノは壊れている様なピアノで長い間ほったらかしにされていた事が一目で分かるピアノでした。このピアノでコンサートをするのかと不安になり、ピアノを替えて欲しいと頼みました。が、替えるピアノはないとの事で、これよりないという返事に落胆しました。汚れた、壊れたピアノにイランの社会的背景を見ました。イラン革命後、イスラム教の国家となり、法律で音楽は禁止されていると聞いていました。国が主催する音楽フェスティバルだけが特別なのだという事がよく分かりました。音楽が禁止されていますので、イランでピアノを探す事は困難でした。ホールもあまり使われていない事がよく分かる程汚れていました。私は、せめて舞台だけでもきれいにしようとモップを探し、掃除道具らしきものを借り、舞台を拭きはじめました。私が拭いた位では、きれいになる様な状態ではありませんでした。ピアノも一生懸命拭きましたが、簡単にきれいになる様なものではありませんでした。いだきしん先生に申し訳ない気持ちになりました。「コンサートホールを変えてほしい」とも頼みました。が、今日はここでより出来ないとのお返事でした。ただ、しばらく経って、もう一度コンサートが出来る様に手配をする、というお返事がありました事が、せめてもの慰めとなりました。2回目のコンサート会場は、アラスパラル文化センターと聞きました。アラスパラル文化センターも最初の会場と大差はないと私には見えました。が、少しだけ汚れが少なく、ピアノも少しだけきれいに見えました。音楽が禁止されているという事は、この様な状態になる事を目の当たりにしました。イランでのコンサートでは、私は一人の聴衆とし聴く事になりました。初めての経験です。いつも主催者ですので、聴衆の一人として何の役目もなく演奏を聴けるという事がどういう事なのかという事を想像も出来ませんでした。とてもありがたい気持ちで、一席に座らせて戴きました。お客様の様子も気に掛ける事もなく、何かあったら注意をしたり、席を立つ事もなく、一人の聴衆として座っていればいいという事が、こんなにも自由で肩の荷が下りるものかという事を、座った瞬間に実感しました。生命は感謝にあふれています。いだきしん先生の演奏がはじまると、壊れたピアノであっても、その音は生命に深く沁み込み、感動してなりませんでした。音は、要に要にと向かい、自分の生命からも「要に向かえ」とのメッセージが聞こえました。要に向かった時、私は、母を感じました。涙ばかりがあふれます。母の胎内にいる時の事をはっきりと思い出したのです。こんな事が人間起こるものかと、信じられない気持ちでした。が、母の胎内にいる時という事を確かに生命では分かるのです。私は、母の胎内にいる時、神に出会った事がまざまざと蘇りました。



