鮮やかなカラーの夢を見たエチオピアコンサート本番当日の朝は、内面は明るく光輝いていました。今日から新しい人生が始まる予感に心がときめいています。同時に、緊張はこれ以上できない程緊張していました。隙無く備え、本番を迎え、コンサートが無事に開催できます様にとひたすら祈る気持ちで瞬間瞬間を過ごしました。高地でありますアディスアベバはこの時期、夜になると大変冷え込み、氷点下になります。その事を迂闊にも知らずに来てしまい、防寒着の備えもなく、日本から持ってきた服を沢山着重ね、寒さをしのぐ為に考えられる限り持っている物の中で服装を整えました。が、防寒というには余りに程遠い身支度でしたので、後は天に任せるよりないと心を決めました。本番を迎える準備、緊張は、今となっては何も覚えていないのです。ただ生命の躍動と感動のみが残っています。メスケル広場にスクリーンが7基立ち上がりました。準備の時から少しずつ立ち上がっていくスクリーンを見る度に、感動に心が震えました。日本からとび職の方が来て下さり、その方に習ってエチオピア人が一緒に作り上げて下さったのです。エチオピア人はそのとび職の方が好きでした。言葉は通じなくてもその方の動きを見て習い、一緒にスクリーンを立ち上げてくれたのです。私も、とび職の方の動きは美しいと感心して見ていました。後からお聞きしたのですが、とびは落ちたら生命を落とす仕事なので、仕事の前には身を浄め、心を浄めて臨むとお聞き致しました。日本の文化であると感動しました。私もいだきしん先生にお会いし、内面が豊かである事が人生の豊かさとお聞きした時、内面について尋ねたのです。その時、常に目に見えない所もきれいにし、朝家を出る前には、やる事を全部やり、内面を整理しこのまま死んで帰らない身となっても誰にも迷惑かからない状態で家を出ると教えて頂きました。私は毎日実践しました。これ程気持ち良い事はなく、心は晴れやかで幸運に恵まれ、仕事はダントツの成果を上げたのです。美しい内面には神様がはたらくという事を実体験できました。後から、昔の武士の様だと感じました。生命賭けの仕事は仕事の前には身を浄め内を浄める、は日本の文化であると誇りを感じます。言葉は通じなくても歩く姿でエチオピア人はとび職の方の仕事の仕方に感動し、一所懸命力を合わせ作り上げて下さったのです。そのスクリーンを見るだけで、魂震えて心揺さぶられてなりませんでした。本番もスクリーンに映像が映し出される時、感動の連続でした。いだきしん先生がご登場されますと、11万人の聴衆が大歓声を上げました。私はその歓声と拍手の音を聞いているだけで、胸の内は打ち震え、涙よりありませんでした。言葉にならない感動を超えた感動です。先生が両手を上げ、演奏を始めた瞬間、感極まりました。「天命」というタイトルのコンサートの第一音を聞いて、私は懐かしく胸震えました。遥か彼方の時から繋がる自分の生命を感じました。「私は生まれる前から『天命』を知っていた」と言葉になりました。私が生まれる前、先祖代々天命を知り生きてきたと分かりました。先祖高句麗初代の王は、天の光を受け生まれた神話の人物です。天の意を受け、天意を顕わす国創りをしました。生まれながらに天命を知り生まれ、天を地に顕わす国を創ったのです。私はその魂を受け継ぎ生まれたので、生まれる前から天命を知っていたという事が、歴史の一本の道筋を見る様にはっきりと見えたのです。何という人生でしょうかと自分の人生を想うと夢の様だと狐につままれた様な気持ちになるのです。この時も夢の様だと感じました。いだきしん先生と共に撮影の旅をした映像がスクリーンに映し出される度に、聴衆は歓声を上げます。そして、人類最古の人骨が映し出された時は、深い感動が会場に満ち溢れました。私は、新しい精神が身の内に宿りました。全身が温かくなり、氷点下の中寒さに震える事もなく、全身温かさに包まれ心地良く健やかで、最高の状態でコンサートを経験できました。精神あれば、寒さなど関係ないのだという事を生まれて初めて経験しました。いだきしん先生の趣意書の中で、「新しい精神」という言葉がありました。正に、新しい精神宿る経験が起こりました。感動よりないコンサートは無事に終わりました。終わっても感動は冷めやらず、ずっと感動していました。

世界伝説 第23弾
翌日エチオピア政府主催の実行委員会が開かれました。会場に着くと、いだきしん先生が私に真ん中の上座に座る様にと促して下さいました。大使にもその旨を伝えた時、大使は承諾しました。今までは私は末座より案内されませんでした。NPO高麗の代表でありますが、私の席は末席でした。いつも不満を感じていましたが、ある日大使がおっしゃったのです。「高麗さんだから同じ部屋に入って頂いて同席して頂いていますが、本来は女性は部屋にも入れないのです。どうぞご理解下さい。」とおっしゃいました。イスラム教の教えでは、女性は同じ部屋で話し合いや会食はしてはいけないという事でしたが、私だから末席であっても同席をして頂いているとの内容だったのです。私は、胸の内は不愉快でざわついていました。納得できなかったのです。エチオピア政府の内閣の大臣が実行委員となって下さいましたが、3分の2が熱心なイスラム教徒でした。女性である私には距離を置かれますので、とても不愉快な事が多かったのです。イスラムの教義と知ってはいても、私の内面は納得できずに不愉快になるのでした。コンサート当日、一度この思いが爆発しそうになりました。女性をこの様に扱う事に耐えられなかったのです。大使に談判しようかと一度は考えました。が、今日はコンサートです。コンサートを成功させる事が最優先です。コンサートが終わってから談判しようと考え、当日はコンサートのみに集中する事に努めました。それ程耐え難き苦痛となっていました。ところがコンサートが終わった後は、その様な事を全く気にしない自分となっていました。どこに座ろうが、どう扱われようが、気にならなくなっていたのです。そこに、いだきしん先生に真ん中の席を誘導され、私は結構ですとお断りしたのです。が、先生が座りなさいと促し、大使も促されたので、私は座らせて戴きました。実行委員会が始まった時、いだきしん先生はおっしゃいました。その前にエチオピアの大臣や実行委員の方々が、コンサートへの感謝を沢山伝えて下さいました。今でも忘れる事ができません。最初はコンサートに興味を示していなかったエチオピア航空の社長が、涙を潤ませ、感謝を述べたのです。美しいものを美しいと感じる心は人間共通と分かり、愛を経験し平和は成ると感じたとの内容でした。深く感動しました。次から次へと感動と感謝のメッセージが続きました。最後に、いだきしん先生は「このコンサートを中心となって開催したのは高麗恵子です。高麗恵子は我々のボスです。日本でお金集めも人集めも、全てを彼女が全部やりました。」と私に拍手をして下さったのです。全員拍手をして下さいました。こんな瞬間が起こるとは、想像もしていませんでした。私は自分の内にジェンダーが解放され、この様な事が起こったのだという事を後から分かりました。日本で仕事をしているといつも女か、と言われたり、ボランティアの実行委員長をしていましたので、実行委員長が女である事でいつも相手にされない反応があるのです。よく街頭募金などでトラブルがあった時に、実行委員長を出せという場面が訪れます。私が私ですと出ていくと、何だ女か、と必ず言われたのです。私も、女で悪かったかと言い返す様な反発心がありましたので、またその様な目に遭うのだという事を自分でも自覚していました。人間は内的環境が取り巻く環境を作りますので、自分の内になければその様な巡りは起きない事はよく分かっていました。私の内に男性への反発心があるので、この様な巡りに遭うという事は自覚していました。が、やはり差別されたり、女であるだけで扱いが変わる事にはいつも反発を覚えていました。エチオピアでは、大変その目に遭いました。それはコンサート実行委員会の大臣達がイスラム教徒だったからです。いだきしん先生の「天命」コンサートにて、全ての境が解け、私の中から男女の性差の境まで解け、すっかり内面が変わったのです。内面が変わったら、女性だからという扱いを受けなくなりました。その後イランへ行っても、自分の内面が変わったので不自由を感じる事なく、前代未聞のペルセポリスでのコンサート実現へと至ったのです。続く…。