世界伝説 第19弾

全身痛む体で成田空港まで行き、バンコク行きの飛行機に乗り込みました。どの様に飛行機の中で過ごしたかは、全く覚えていません。バンコクで降り、長い乗り換え時間を過ごしました。階段の移動は、荷物を持ってはとても出来るものではありませんでした。いだきしん先生も同行する仲間も撮影機材を一杯担いでいますので、とても自分の荷物を持ってほしいとは頼めず、私は、自分の荷物は階段の上から投げて下ろしたのでした。長い旅路の末、エチオピアに到着しました。翌日から撮影の旅が始まりました。エチオピア大使と大使の友人である私共NPO高麗のエチオピア代表となったモハメッド氏の生まれ故郷、ハラールへ行きました。大使もモハメッド氏も熱心なイスラム教徒です。その生まれ故郷は女性を見かける事はありませんでした。女性は外を歩くものではないと聞きました。家の中で食事を作り、子供の面倒をみるのが女性のする事で、外に出る事はないと聞き、大変驚きました。その為か、どの様な理由か分かりませんが、お年を召した男性が、私を怒鳴りつけてきました。モハメッド氏がなだめていましたが、きっと女性は外に出るものではないと注意していたのだと感じていました。この時はまだ体の痛みがとれていなかったのです。幾つかの場所をご案内頂き、いだきしん先生は撮影をされました。私は、とても歩く事や立つ事が出来ずに、丁度布きれが敷かれている所に皆さんが座っている状態の小屋の様な所でしたので、自分は膝をついて這う様にし移動していたのです。いだきしん先生が「ちゃんと歩きなさい」とおっしゃったのです。私は、はっとし立ち上がり、歩きはじめました。この時から、歩ける様になった事をよく覚えています。ハラールのホテルは、例えようがなく不衛生であり、汚れていました。レストランと聞いた場所へ行きましたが、ゴミが積み重なっており蠅が一杯飛んでいました。簡単な汚れた椅子とテーブルがあるだけで、人がいる訳でもなく、食べ物を提供している気配は全くありません。物置の様な汚い場所という風にしかとれませんでした。そこで日本から持っていった保存食を食べたのです。窓の外を見るとゴミの山が見えました。本当にゴミが山の様に積み重ねてあったのです。私には耐え難き環境でした。それでも、コーヒー畑へ行くと風が爽やかに吹いて心地良いのです。自然環境は豊かで、大地のエネルギーが満ちあふれています。人間の暮らす場所があまりに汚れ、粗末である事が、悲しい現実と受け止めました。アディスアベバに帰り、アディスアベバのホテルは宮殿の様なシェラトンホテルですので、ここだけは別世界となっています。そしてまた、昼間より飛べないセスナ機に乗り、エチオピアの南部へと向かいました。セスナ機にはお手洗いがついていませんので、とても緊張します。が、その覚悟でいつも体調を整えて出掛けるのでした。

草原にセスナ機が降り立ちました。地平線が見える様な広い草原です。人の姿は全く見えませんでした。この草原へ降り立って何処へ行くのかと不安になりました。セスナ機から降り、歩きはじめると、人が沢山現れたのです。何処にこれだけの人がいたのかと驚きました。森の中を歩き、村に入りました。家といっても建物とし立っている訳ではなく、藁で造った様な、小屋の様なものが幾つか立ち並んでいます。そこで、石の上でナンを焼いたりしている女性を見ました。また、素晴らしく美しい女性が颯爽と歩いています。ニューヨークで歩いていたらトップモデルになる様な人です。世界のトップモデルと比べようがない程美しく、かっこいい女性達です。見惚れてしまいます。人間は、自然の中で生きていると、こんなにも美しいものかと感動しました。物にあふれ、物質的には不自由なく生きている国の人間は、何者かによって作られたのだと感じました。本当の人間の姿は美しいと、目が覚める思いでした。ほとんどの人は服も着ていません。ここに居ると、服を着ている私達の方が少数ですので、服を着ている方がおかしな事なのだと考えると、笑いが込み上げてきます。大変衝撃的な経験でした。自分達が生きている世界だけが世界ではない、という事がよく分かる経験でした。

太陽が昇っているうちにアディスアベバに帰らなければいけませんので、再びセスナ機に乗り込みました。上空から広大なエチオピアの大地を見ていると、地球は広く、人間は様々な生き方をしているのだという事がよく分かります。これが当たり前という事はなく、それぞれの地で生きる暮らしがあり、習慣があり、生き方があるという事が凄い事なのだと神に出会った様な畏れを感じ、衝撃を受けました。アディスアベバに戻り、特別な所に保管されている、人類最古の人骨「ルーシー」の撮影許可が下り、いだきしん先生と撮影に行きました。博物館にはレプリカが置かれています。本物は特別な所に保管されています。いだきしん先生が撮影された人類最古の人骨は、本物です。

人骨が発掘された現場に行く前の日の事でした。撮影が終わり、外に出た時、人類最古の人骨が発掘された地へ行く近道があると教えてくれた人がいました。私は大変喜びました。ずっと恐れていたのです。自分が耐えられるのか、行き着けるのかとても不安でした。少しでも近道があるなら、ありがたいと光を見る気持ちでした。が、結局はこの時の話は何だったかと感じる程長い長い旅路の末、人類発祥の地へ辿り着いたのでした。続く…。