世界伝説 第158弾

 「2008年5月京都から始まりました」と生命の内から言葉が生まれ続けました。京都文化博物館にて初めて心模様作品展を開催した時の事です。何が始まるのか分からなかったので表現出来なかったのです。が、胸の内では毎日「2008年5月京都から始まりました」と表現しているのです。3日経ちました。初めて高麗恵子ウェブサロンに「2008年5月京都から始まりました」というタイトルで書き込みをアップ致しました。途端に人の心が動き、実際各地から京都まで飛んで来る方が日に日に増えてきたのです。ここは駆けつけねばならぬという勢いで次から次へと沢山の方が京都にお越し下さいました。何が始まったか分からなくとも何かは始まったのです。その動きと勢いは生命丸ごと感じました。私は京都で滞在するホテルの窓から毎日鴨川を眺めました。丁度鴨川が見えるお部屋だったのでとても嬉しかったです。亡き父の姿を探すように川の畔を歩く人の姿を追いかけたのです。父がいるわけはないのですが「父も歩いたであろう鴨川の畔」という言葉が生まれ、詩に書いたのです。父は、私と同じに時間があれば京都に来ていました。私は古人の息吹に触れ、人間はどの様に生きればいい存在かを分かりたく、京都を自分の足で歩いて回りました。父は何の為に京都に来たかは分かりませんが、魂の事が分かってきた今は魂の導きにより、また魂に惹かれこの地を足繁く訪れたのだろうという事は想像がつくのです。私も何がある訳ではないのですが、京都の地にて魂の香りに胸動き、突然ときめいたりすることが多いのです。が、現実には何が起こる訳でもなく、誰かに会うという事もなかったのです。父の面影を追う毎日は、私には幸せな時だったのです。亡き父に会えるかもしれないときめきがあったのです。亡き父だけではなく先祖の魂に会える始まりだったのかもしれないと今になればその様に感じています。
作品展の会期中、どの様な経緯で行く事になったか覚えていませんが、大覚寺に向かいました。大覚寺の中には一度入りましたが、その後は大沢池の畔に佇むだけで大覚寺には入る事はありませんでした。

大覚寺に入って思い出したのは、10代の頃です。肌寒い3月の頃、早春の風に吹かれた事を思い出しました。大覚寺の境内に立ち、人生を考え、思い悩みどこに答えがあるのかと悩みながらここに立った事が思い出されました。早春の風は冷たく、私には身に沁みました。この世のどこにも答えはないと虚しくなるばかりだったのです。今は答えを見出し、世界に伝えようと生きています。素晴らしい人生です。大沢池の畔に佇んだ時に、ふうっと風が吹きました。そして愛おしい香りがしました。私は急いでバッグからノートとペンを出し、聞こえるがままに詩を綴っていったのです。その詩が「姫よ私の声が聞こえますか」の詩となったのです。

 

姫よ私の声が聞こえますか
姫よ私の声が聞こえませんか。
私はあなたに約束しました。
永遠に生きることを。長い年月、時がどんなに
私達を引き離そうと、魂までも引き離すことは
できません。私はあなたを待っていました。
ずっと待っていました。
この地で生き、永遠の時は必ず訪れることを
胸の内で感じていました。だから待てたのです。
この地は。私達を失きもののように地に埋めました。
けれど、魂はどんなに埋めても埋められるものでは
ありません。魂は、天とひとつであり、天から生まれているのです。
あなたに会える時が近いことを大地は教えてくれたのです。
まるで覆われていた雪が解けるように、覆いがとけて、
天のからの光を受けるようになったのです。
私は、あなたの後を追って、この地に来たのです。
荒波を乗り越えた先には、あなたがいると私にはみえていました。
真を尽くし、生き続けていれば、必ずあなたに会えるとわかっていました。
愛を失ったことはありません。たとえどんなに辛い時も、
愛が心の中心にあり、耐えられました。
時に胸の奥からこみ上げる慟哭も耐えました。
風は教えてくれました。あなたがこの地にいることを伝えました。
長い年月過ぎましたね。
あまりに長い年月耐えましたね、
ふるさとの風を心に生きてきました。
魂は永遠です。死ですらも、あなたと引き離すことはできません。
あなたは、私達の心に光を灯してくれました。
永遠に消えることのない光です。会える会えないは、
この世のことです。永遠の世界で会えないことの方が、
私には耐え難きことであり、おそろしいことでした。
魂は蘇るのです。蘇る時、会えるのですね。
私の声が聞こえますか。
池の畔の桜の新芽

 

まさか京都の大沢池で「姫よ」と私を呼ぶ魂がいたとは大変驚きました。ロマンの風が吹いて姫を追いかけ、海を渡りこの地に来た魂がこの地で眠っているという事を感じると切なく、また永遠の愛を感じ胸一杯となりました。姫は心の中心であり生きる要であったのだと分かります。人間は永遠に生きる存在と感じ、大沢池の水面に生まれる波紋を見てはひとつ生まれたら世界に伝播していくのが愛なのだと分かるのです。

この世では、愛は所有物になったりし、とても広がるものには感じられません。死んでも愛を貫こうと生きた魂の声を聞き、人間の存在の計り知れない事に深く感動しました。私はその後大沢池の畔に佇む事が多くなりました。早春の香りがする春も、そして暑い夏も、木の葉が枯れ落ちる秋、そして雪が舞い降りる冬…季節が変わるごとに大沢池の畔に立つのです。

そして「姫よ」と語りかける魂の声を詩に書く様になりました。ある時、再び聞こえてきた魂の声を詩に表しました。

姫よ

この地で生きる雅やかな春
池の水面は遠い未来をうつしていました
愛する人の光をうつしていました
永遠に輝く光が生きる道標
春の風はやさしく そしてせつないのです
この目に見えるところには あなたはいなのです
野の花は可憐です いつも美しく咲く様に
何度励まされたことでしょう
国を離れ、帰る所のない悲しみを誰が知ることでしょう
大地はやさしく常に共に在り支えつづけてくれます
いく度この春のやさしさに勇気づけられ、生きてきたことでしょう
春は甘いときめきの香りがします
姫にはじめてお会いしたのは、春の野山だったからです
あの時もかぐわしい香りがしました
なんともかぐわしいその香りの行く方に歩いていくと
美しく輝く姫 あなたがおられたのです
私の心に生きるようになったあなたの輝きが永遠への
道標となりました
この雅やかな都の春
同じ魂を知る人は大勢います
姫の輝きを永遠の道標とする人がつくりだした雅やかな春、
甘い香りを私は知っています
言葉を交わすことがなくとも香りでわかります。
気持ひとつにつながっていると感じ、生きてこれたのです。
いつも心に描くは、ふるさとの大地、風、美しい木々、山河、
風は伝えてくれます 必ず時はくると・・・
今日も池の水面に広がる波紋は、私の心をうつしています
生まれては消え、又、生まれ、水面にうかぶ波は繊細で美しく、
私の心の奥に秘める悲しみ、愛をうつしだしているようです。
そうして私の心の真中に生きる姫の輝きまでもうつし、
甘い香りが漂います
春の香りです
いつかきっと会えます
古の光景には古人の魂の声がきこえます
千年の都の礎に、我祖先の魂あり
木も大地も知っている
大地が語る 歴史が語る
天はるか向こうで生きる生命は 古の光景を見、
古の風 水の香りに吹かれるとき 我内に真をみる

 

最後に「千年の都の礎に、我祖先の魂あり」と書いた時には胸一杯涙があふれました。この地には沢山の高句麗人が眠っていると魂で感じたのです。やっと現わる時を迎え、動き始めている事を感じたのです。

私が動く時、沢山の魂に出会える希望の光が胸に灯りました。古の都にまさか姫と呼ぶ魂が眠っているとは今まで考えた事もありませんでした。人生とは真に不思議なものです。この地に導かれ歩いたからこそ出会えた魂の声です。京都での「高句麗伝説」の時にはこの詩を詠ませて戴きます。どれだけ多くの方々が涙した事でしょう。多くの方々の魂に触れていくのだと感じ、魂の声は魂に届くと分かります。続く…。