世界伝説 第125弾

ある時は岩手県の被災地となりました大槌町の町長代理と陸前高田の市長さんにお会いするアポイントメントが決まりました。大槌町は町長さんがお亡くなりになられていましたので、代理の方とのアポイントメントでした。最も被害が大きいと聞いていましたが、目を覆いたくなる惨状でした。行けども行けども道もなく破壊された跡が残るばかりです。どこを見ても全て破壊されていたのです。ぽつんとプレハブの建物が立っていました。ここが町役場だとはすぐに分かりました。車を降り、プレハブの中に入りお越しになった町長さんの代理の方にお会い致しました。この時も私は何を話したか覚えがない状態だったのですが、必死でお話をさせて戴いたのです。先方様のたった一言により悲しみに火がついてしまったのです。人前であるにもかかわらず、涙が込み上げ号泣してしまったのです。自分でも何が起こったのか分からずに戸惑うばかりなのですが、涙は止まりませんでした。先方様もあまり好意的に対応しては頂けない方でしたが、私が泣き止まない状態には戸惑っておられました。結局必要がないというお返事だったという事だけは心に残りましたので引き上げるよりない状態でした。被災地に行きますので時間には余裕をもってアポイントメントを取って頂いています。すぐにアポイントメントが終わってしまいましたので、次の陸前高田に行くまでに5時間位の時間が空いてしまったのです。辺り一面破壊された何もない所に車を止め、次はどこに行ったらいいのかと考えました。休む場所もなければ入るお店もありません。その時ふと陸前高田に行く道中に大船渡がある事に気が付きました。四六時中人探しをしていましたので、丁度大船渡に支援物資を受け入れている薬局がある事を知っていました。私はその薬局の方にお電話をさせて戴いたのです。もちろん初めてお電話する方です。現在、大槌町にいる事、陸前高田でのアポイントメントまでに時間があるのでお会いして頂きたい事をそのままお伝えしました。是非来て下さいというお返事を頂き、次の行き先が決まったのです。道なき道を大船渡まで行きました。お約束した方の薬局は、幸い被害がない場所にありましたので、通常営業を行っている状態でした。中に入り、お約束した方にお会いさせて戴きました。女性の方でしたので、とても話はしやすかったです。いだきしん先生の働きも、私達の活動の事も自分がなぜここに来ているのかも全部お話する事が出来ました。そして、色々な事を教えて頂きました。大船渡でコンサートをお考えなら、あそこでやったらいいとか、色々大船渡の事を教えて下さったのです。そして、ご協力下さる可能性がある方のところに連れて行って下さったのです。私は車の後をついていきましたが、次第にまた何とも辛い風景が広がってきました。かなり壊れてしまった海岸の近くにその方のレストハウスがありました。そこで、再びいだきしん先生の事やコンサートの事をお話させて戴きました。すぐに何かが決まるという話し合いではありませんでしたが、お話が出来る機会がありました事はとてもありがたい事と感謝しました。

そして、陸前高田にそろそろ行かないと間に合わなくなるとおっしゃって下さり、その方は自分が先導するからついてきなさいとおっしゃったのです。道がないからカーナビがあったって行けないからね、とおっしゃり陸前高田まで連れていって下さる事になったのです。道なき道を猛スピードで走っていくのです。私は必至でついていきました。恐らく陸前高田と思われる地域に入りました。ここも大変な惨状です。何を目印にしていいかも分かりません。私はその方の後を必死でついていくよりないのです。その方は、色々な方に聞きながら市役所がどこにあるのか尋ねていました。ボランティアで来ている男性に声をかけ、私の車に乗りなさいと頼んでいたのです。私の車に乗って彼女を市長さんの所に連れて行ってあげてほしいと頼んでくれていました。その男性は車に乗り込みました。私が何の為にここに来ているのか怪訝そうな顔をして尋ねてこられますが、市長さんに会いに来たとしか言えなかったのです。あれだけ時間があったのですが、道なき道を行くには時間がかかりました。気づいたらアポイントメントの時間は過ぎてしまっていたのです。あれだけ入念に準備してきたにもかかわらずアポイントメントに遅れてしまった事は本当に心苦しい事でした。急いで車を降り、人に聞きながら市長さんのいらっしゃるプレハブの建物を探し、中に入りやっと市長さんにお会い出来たのです。奥様がお亡くなりになった事はニュースで知っていましたので、とても心痛み、何と申し上げていいかと考えながら来たのでした。まだ小さなお子様がお二人いらっしゃるという事もニュースで知っていましたので、お子様達の為にマーブリングをしたTシャツを用意して持ってきたのです。この時も必死でいだきしん先生のお話や、活動のお話をしたつもりです。が、力不足を感じました。伝わったとは感じられなかったのです。とても申し訳ない気持ちになりました。どの様にお話したら伝わるのだろうかと考え込んでしまいました。折角道なき道を辿り着いたのですが、今日のアポイントメントは空振りとなりました。自分が思い描いた様になる訳がない事は被災地に来ていつも経験してきました。大いなる存在はどの様に私を導いて下さるのかと常に大いなる存在を心に動く事よりないと、甚く分かりました。私の内に一つも手掛かりがなかったのです。内面をきれいにし、大いなる存在につながる事にいつも尽くしました。自分で考えても、何の道も作れないのでした。それでも山田町や釜石市でコンサートが出来る事になりました事は大いなる働きかけと涙が出る程ありがたい事と感謝するばかりでした。そして、大船渡の薬局の女性は、盛岡で「高句麗伝説」を開催した時に大船渡からお土産をもってご参加下さったのでした。涙が出る程うれしかったです。続く…。