世界伝説 第124弾

山田町でのコンサートを開催する事となり、私はとても嬉しくて考えるだけで涙が溢れてくるのでした。コンサートが決まった後、釜石に行って来ました。いだきしん先生から、有能な行政マンがいらっしゃるというお話をお聞きしました。その方に是非お会いしたいと考えました。また、市長さんとのアポイントメントも取って頂いていました。何と有能行政マンと市長さんと一緒にお会い出来る事になったのです。釜石製鉄など鉄鋼の街というイメージよりなかった釜石ですが、やはりかなり破壊されている惨状には他の被災地と同様言葉を失いました。特に、海岸線の道は大変悲惨な状態でありました。市役所に行くまでも商店街が大変な被害に遭っているのでした。とても暗い気持ちになり、市役所を訪れました。市役所は電気がついていなくて、冷房もついていませんでした。夏が近い暑い時でしたので、暑さを感じた事を覚えています。電気がない暗い部屋の中でお待ちしていると、突然ドアが開き、男の人が入ってきました。瞬間私は立ち上がり、この方が有能行政マンだとすぐに分かり、とても嬉しくなって元気良く挨拶をしたのです。その方も私を見てとても喜んで下さり、暗い部屋が光に包まれたのです。一気に心も明るくなり、自由に表現が始まりました。何をどの様には話したかは、この様な時はよく覚えていませんが、何か特別の事があったかの様に光を見る出会いでした。有能行政マンの方が市長室に連れて行って下さいました。市長さんにお会いした時もとても良い出会いと感じる瞬間でした。

私は岩手県の被災地で感じた事をお話しさせて戴きました。街の復興よりも、心の痛み、悲しみが癒えなければ、とても街の復興は考えられないと多くの人からお聞きしていた事をお話しさせて戴いたのです。そして亡くなった身内の事を気にし、魂が浮かばれる事を願っていることも、私は子供の頃から霊魂が見えたり、目に見えない世界が見える事まで話していました。その様な事で苦しむのが人間だという事を話していると、市長さんはよくご理解下さいました。市長さんは教育者であったという事を知っていましたので、この様なお話もさせて戴いたのです。そして山田町でコンサートを開催する事になったいきさつもお話しさせて戴くと、釜石でもやってみたいとおっしゃって下さったのです。この瞬間も光が見えました。そして、釜石の復興でカフェを作ってくれたらいいともお話し下さったのです。コンサートと復興支援のカフェを作る事まで市長さんとお話し出来ました事は本当に嬉しい事でした。胸の内は光満ち、希望に溢れて参りました。コンサートを開催するお約束をし、有能行政マンの方とコンサートのお打合せをさせて戴き、市役所をお暇しました。市長室を出た後も電気がない暗い廊下を歩き、職員の方々は汗だくになり働いていました。暗い廊下なのに私の心は光満ち、空間までも光満ち、明るく見えたのです。外へ出ればまた大変な被害が見える風景が広がります。大変な事が起こった事を目の当たりにし、なんとかお力になれたらと願うばかりであります。釜石ではとても嬉しい出会いが起こり、光満ちる時を経験させて戴き、心から感謝し、コンサートがとても楽しみとなりました。また復興の支援のカフェを作る事も考え始めました。続く…。