世界伝説 第123弾

何度も被災地に行く様になり、私はどうしてもホテルでは一睡も出来ないという大きな問題を抱えていました。一睡も出来ないで被災地に行き、休む間もなく活動していくのですが、体がしんどくてならなくなるのです。やはり盛岡で家を借りたいと考え始めました。賃貸の物件を沢山探しましたが、どこもここに住みたいという気持ちにはなれず困っていました。そして、チャリティーコンサートの日に内覧に行った分譲マンションの物件ばかりが心に浮かんでならなくなったのです。ある時、やはりあそこに決めようと心が決まり申し込みをしました。東北センターという事務所になるか、拠点になるか分かりませんが、住まいではないオフィス用の部屋もありましたので、そこもあわせて買おうと考えました。そして、いだきしん先生のお住まいもと考えますと、3戸一遍に買う事になるのです。自分はなぜここまで考えるのか自分でも不思議な程に考え始めるのでした。ある時、ここでもう決めようと決断し、契約の為に盛岡に行く算段を致しました。盛岡へ行く前の日に、いだきしん先生にその事をお話させて戴き、明日盛岡に行ってきますと申し上げた時に、いだきしん先生は、これ以上拠点を作ると身がもたなくなるとおっしゃったのです。ぶら下がっている人ばかりをいつも引き連れて歩いていたら、いずれ倒されるというお話をお聞きした時には体の奥から凍てつく様な感覚がありました。いだきしん先生のお言葉はいつも図星ですので、自分では意識していなくてもおっしゃられた途端に体が反応するのです。自分の内に言われる様な事がなければ、ドキッともビクッともしませんが、この時も凍てつく程ドキンとしたのでした。この状態では先はないと体の反応から分かり、私は明日の約束をキャンセルさせて戴きました。そして、もう一度仕切り直して考えました。特別家を作らなくても、借りなくてもいいといえばいいのです。ホテルに宿泊すればいいだけの事であるのに、なぜ自分はここまで考え始めたかと考えれば、川の畔で「ここに家を作る」と叫んだ事から既に始まっていたのだと気づくのでした。本音は生まれ、表現した時は向かうよりないという事を過去も経験して分かっていましたので、私の内では向かうよりない状態となっているのだと自覚し始めました。

そんな中で京都へ向かう高速道路を走り、あるサービスエリアに入った時に、共に東北へボランティア活動に行っている仲間と会いました。たったそれだけの事でしたが、いだきしん先生が、こうやって皆が一緒に動いているのだからやはり拠点を作ってもいいかというお話をして下さったのです。私は胸が拓きました。やはりこの方向で行こうと見えたのです。やっとマンションを購入する具体的な手続きが出来る様になったのです。私は、何でも気が早く、すぐに実行する性格なので、後から考えますと「ここに家を作る」と叫んだ日から1カ月少し経った時には、マンションを購入し、山田町のコンサートの時には家から被災地に向かっていたのでした。随分長い時間が経った様に感じても1カ月少しの事だったのかと分かります。こちらはその気になっても、マンションの管理会社の人が一戸より買わないと思っていましたので、契約書が1通しかなかったのです。私は何度も3戸買うと申し上げているのに、先方様はそんな事はないと思い込んでいる様で何度も何度も言ってやっと分かってもらった様な状態なのです。信じられない様な気持ちでおられた様です。自分でも信じられない気持ちで動いていますので、そうなってしまうのかとは受け止めましたが、始まった事はどんどん行くよりないと事を進めていったのです。今度は引っ越し準備まで一緒にやらなければいけない状況となりましたが、覚悟は決まっていました。東北の復興なくして日本の未来はないと見え、人生賭けると生まれた本音で動いたのです。賃貸では駄目だったのだと自分では受け止めています。分譲であれば、ずっとやり続けていく事なのだと示された様に感じたのです。もちろん分譲であってもやめる事は出来ますが、その時これはもうエチオピアと同じで息をしている限りやり続ける事だと受け止めたのでした。続く…。