世界伝説 第120弾

盛岡で見る桜の花の美しかった事は今でも心にあり続けています。どこまでも清らかで、言葉に尽くせぬ程透明な輝きに満ちて美しく咲いていたのです。大地震が来、津波に襲われ沢山の方が亡くなるという悲しい事が起こりましたが、今年の桜の花は人間の悲しみと共にありながら、それでも生きている人間は亡くなった人の為にも良い社会を創っていく様に生きていきましょうと励ましてくれている様でした。私は悲しいまでに美しい桜の花を見、桜の花に涙流れ、生命の内は洗い浄められていくのでした。
初めていだきしん先生の東日本大震災チャリティコンサートを盛岡で開催する日がやって参りました。この日を心待ちにしていました。盛岡のマリオスというパイプオルガンが備えてある、駅にある小さなコンサートホールです。私は、ふと外に出かける気になり、歩き始めました。遠くに見える分譲マンションの案内の看板が目に飛び込みました。思わず、このマンションだと心の中で言っていたのです。盛岡から東京に帰った後、自宅のパソコンを開くと、この分譲マンションの案内が入ってくるのです。雫石川と中津川の合流地点という地図に書かれてある文字を見、私は郊外にあるマンションだと思い込んでいました。が、そこまで詳しく地図を見ていたのでした。その事を思い出し、パソコンで見たマンションはあのマンションだと遠くに見えるマンションを目指し歩き始めました。歩けば5分位の所です。買う気もないのに内覧をお願いしたのです。そしてご案内頂いた部屋の窓の外を見た時、あまりに懐かしい風景が目の前に広がり、胸が動きました。高句麗の地とよく似た山河の風景です。そして川が流れているのです。私はいつも川の畔の風景を見ると、魂揺さぶられて涙が込み上げるのです。何と美しい風景でしょう。見ているだけで胸動き、感動しました。目の前に見える山を指差し、あの山は何という山ですかと案内して下さった方に尋ねたのです。駒ヶ岳ですとお返事が返って来ました。私は胸の奥でドキリとする音が聞こえる様に胸が動いたのです。駒ヶ岳ですかと繰り返し申し上げ、胸の内はとても懐かしい不思議な感覚が広がっていくのでした。ふと、ここであれば詩が書けそうと呟いたのでした。この家に住んで詩が書けたら素晴らしいと感じたのでした。まさか内覧をし、この家に住む気が生まれるとは予想もしていない事でした。ふらりとただ入っただけだったのに、まさかその様な気持ちが湧き起こるとは驚きました。

そのまま引き上げ、コンサートホールに向かいコンサートの準備をしました。いだきしん先生のコンサートのメッセージを読む時は胸が震えていました。声を出せば涙が溢れてくるのです。メッセージは、「絆」という言葉が入っていました。いだきしん先生は何故こんなにもよくお分かりになるのだろうかと大変驚いたのです。私が被災地を回っている時に、よく見る言葉が絆という言葉でした。絆と書かれた幟があちこちで立っていたのです。東北の地は絆が深い地なのだと感じていました。この度の様な大惨事が起こった時には、皆、力を合わせ助け合っていくのだと感じていました。コンサートメッセージを読むだけで涙こみ上げる状態を抑えながら、一生懸命メッセージを読ませて戴きました。演奏が始まると、胸の内から死霊が出てくる事が見え、感じ、驚くばかりでした。私が被災地で見たものは、瓦礫の山でしたが、そこには亡くなった事も分からないで津波に呑まれた瞬間の沢山のお顔が見えたのです。浮かばれない状態とはこの様な状態なのだという事を身をもって感じ、言葉にならない辛さを感じていたのです。瓦礫といっても、人が住んでいた家が壊れた状態です。住んでいた方は、自分の家を瓦礫と呼ばれる事にとても心痛めているとお聞きしましたので、私はこの時からあまり使えなくなりました。死霊がどんどんどんどん私の体から出て行くのでした。コンサート中ずっと続きました。コンサートが終わり、やっと胸が楽になったのです。生きた心地が戻ってきました。私は被災地に行ってから、ずっと死霊を身に受けていたのだという事を初めて気づいたのです。振り返ると様々な事が思い出され、合点が行くのです。体は苦しいという事すら感じられない程苦しく、鈍くなっていたのです。

今思えば、死霊を被っていたのでこの様な事が起こったのだという事が理解出来たのです。ある日車を運転していた時に被災地の方からお電話を頂きました。私は必死になって被災地へ行く事に取り組んでいましたので、とても重要なお電話で待ちに待ったお電話でしたので、運転をしていたものの思わず電話を取ってしまったのです。そして一生懸命自分の気持ちを話し、話を進めようとしていたのでした。信号で止まった時に、窓を叩く音が聞こえ目を向けると警察官が立っていたのです。車を停める様にと促され、近くのコンビニの駐車場に誘導されました。携帯電話使用違反で罰則であると示され、免許証を提示する様にと言われました。私はこの時、気が狂った様に怒ってしまったのでした。前年、アゼルバイジャンにての「高句麗伝説」が終わった日の夜にホテルの部屋に戻ると、携帯電話が鳴ったのです。知らない電話番号でしたが、思わず出たのでした。何と豊島区の警察署からの電話だったのです。警察署から電話がかかってくるとはと大変驚きました。お話を聞けば、少し前に目白の美しい日本庭園がある会場にて「語る会」をした帰りに、ナビの言う通りに右折という案内のまま右折をしてしまった時に、警察官に呼び止められ、右折禁止の所を曲がった事により違反の切符を切られたのです。私は長い間ずっと違反をせず、ゴールド免許でありました。免許更新も時間がかからずにありがたいと感じていましたので、違反をする事がとても自分で避けたい事でしたので自分では重々気をつける様にはしていたのです。ナビが右折と案内をしたのでと言ってしまったら、ナビの言う事は聞かないで自分で判断しなさいと言われて、それはもうその通りなのでこれ以上抵抗してもしょうがないと諦め、切符を切ったのでした。それを撤回してほしいとのお電話だったのです。こんな事があるのでしょうかと驚きました。違反の名称の文字を間違えた様なのです。私は、撤回して頂けるならありがたいですと喜び伝えました。ところで今どこにいるのですかと尋ねられたのです。何度もお宅に行ったのですがお留守だったのでとおっしゃいました。アゼルバイジャンにいるのですと答えたのです。アゼル、アゼル、と言い、その後は続かず、アゼルバイジャンの事はご存知ないようでした。私は何度もアゼルバイジャンと笑いながら言った時の事をよく覚えています。違反が撤回された事の喜びと、アゼルバイジャンという文字を何度も繰り返し言った時の事が可笑しくて、時折思い出す事です。この事がありましたので、またゴールド免許に戻った直後に、違反切符を切られてしまった事に自分自身が情けなくもあり、とても感情的になってしまったのでした。私はその警察官に、被災地に行ってきた事を話し始め、日本がこの様な事態になっている時に、何故こんな事で時間を取るのかという様な話をしてしまったのです。1時間も話し、警察官は私の事を精神状態がとても不安定になってしまったんだねと言うのです。私は、精神状態不安定ではないとまた言い切ったのでした。日本の為に皆で動いていかなければいけない時なのだという話を一生懸命していたのです。そして最後に警察官の名前を尋ねたのです。山形県出身の安倍さんという方でした。私は、安倍一族は高句麗系と聞いていましたので、高句麗の御縁で会った人なのだと瞬間感じました。そしてその人の生命の内に高麗の魂を見たのです。とても悲しそうな顔をして、自分を取り戻して下さいと言われた様に感じたのです。その瞬間のその警察官の姿と魂の存在は忘れる事が出来ません。後から考えると、生命助けられたと感じました。あのままの状態で運転していたら事故も招きかねなかったのだと気が付くと、感謝に変わったのでした。あの様な出来事も、死霊を被っていたので感覚が鈍くなっていたのだと気付きました。すると、生きて先生のコンサートに来れた事がありがたくて涙したのです。アンコールの時に、後方から「君」という声が聞こえました。私は振り向きましたが、一番後ろに座っていましたので後方には誰もいません。が、私は目に見えない世界が見える人間なので、人の声ではなく魂の声であるとはすぐに分かりました。この地に私を「君」と呼ぶ魂がいるのだと、とても強い衝撃を受けコンサートが終わりました。死霊が抜け、胸が楽になり正気を取り戻し、やっと元気になりました。東京への帰路、いだきしん先生が運転する車に乗せて頂き、私はずっと眠り続けていたのです。あまりに深い眠りであったので、いだきしん先生は、頭が切れたのかもしれないと心配し、何度高速を降りて病院に連れて行こうかと考えたかと東京が近くなった頃におっしゃいました。私は東京が近くなる頃まで、目が覚めなかったのだと初めて知りました。いだきしん先生は目が覚めてほっとしておられました。死霊を身に受け、そしてコンサートで死霊が抜け、体は疲れ切っていた様です。深く眠り、体は軽くなり楽になっていきました。いだきしん先生のコンサートがなければ、お亡くなりになった方々もどれだけ苦しい事かと考えるだけで胸は一杯になります。自分は自分の経験の中で分かった事を受け止め、沢山の方が救済されます様にと願い、いだきしん先生のコンサートを沢山開催する事が一番の復興になると考えました。続く…。