世界伝説 第119弾

夜になり盛岡に着き、ホテルに入りました。明日はいよいよ被災地となりました宮古に向かいます。十分準備し、備え、休みました。ところがベッドに横になっても眠気はひとつも起きず、頭が冴えてくるばかりなのです。全く夜眠る事が出来ずに朝を迎え、身支度を整え車に乗り込みました。宮古への道は過去にも何度も通っています。いだきしん先生に出会う前も宮古へ行った事があります。そして「本音で生きて下さい」の本を出版し、全国で講演会活動をした時に、盛岡での講演会の後にいだきしん先生が宮古へと連れていって下さったのです。浄土ヶ浜に行き、そのまま一般道を南下したのです。既に夕方となり、日が暮れた海沿いの道を車で走る時に寂しさと悲しみが胸に襲ってきました。人間とし生まれ、生まれながらの運命を受け継ぎ生きるより知らない人生を過去に生きた人達はずっと生きてきました。今、初めて私達はいだきしん先生に出会い、生まれながらの運命が解放され、真の自分で生きる人生を生き始めています。真の自分で生きる人生が、人間とし真の人生であると日々感謝し生きています。真の人生を生きる事が、真の喜び、愛に満ちる人生であると分かるにつれ、人間としたった一度より生まれてこない生命、人生ですのでこの様に生きられる事を知らずに生を終えていく事はあまりに悲しいと涙が込み上げてきたのです。いだきしん先生がおられない時代であれば、そう生きざるを得なかったのです。が、今はいだきしん先生がいらっしゃるのです。お会いになれば、運命が解放され真の人生を生きていけるのです。私は、この地に生きる方々は、生涯先生の事を知らずに生きていくのかと考えただけで胸が悲しみで一杯となり、涙が込み上げてきたのでした。その瞬間、私はいつかこの地に来て「本音で生きて下さい」の本を紹介し本音で生きる事をお伝えしたいという気持ちが生まれたのです。その時に買った車が戦車と呼ばれているゲレンデです。

行商車と名付け用意したのですが、その後の巡りで中々「本音で生きて下さい」の本を車に積んで行商する時がなくなりました。そして、その車で被災地に来る事になったのでした。宮古への道中は、とても美しい風景が続きます。美しい森、流れる川、全ては美しく、過去に何度も来た時から美しい風景に感動して車を走らせた事が思い出されます。宮古に着きました。コーヒーの炊き出しをする場所に行き、コーヒーを淹れ始めました。東京にあるカフェはお菓子も作っていますので、コーヒーやお菓子を一杯積み込んで皆様にお配りさせて戴きました。

私は途中から抜け出し、宮古市役所に行ったのです。コーヒーの炊き出しと人探しもしたくて宮古に来たのです。市役所も津波により1階は水につかっていたと聞きました。時計は津波があった時間で止まっていました。2階から上へと全ての階の一部屋一部屋を訪ねて回りました。いらっしゃる方とはお話もさせて戴きました。ある福祉の関係の部署の方とお話をさせて戴き、いだきしん先生の働きを伝えました。いだきしん先生は日本の未来を見、老人ホームを作り、ショートステイや入浴サービスという仕組みを日本で初めて作った方であります。そのお話をさせて戴き、復興の支援をしたい気持ちを伝えました。お話は通じましたが、お話をしている内にふと、これからやろうとしている復興支援は既に何十年も前にいだきしん先生が日本で初めて創った仕組みであると気づいたのです。先生が創られた仕組みをここで再び繰り返す事が支援活動ではないのだと気づき始め、お話は通じましたがそれ以上具体的に私から申し上げる事がなくなってしまったのです。人に会わなければいけないという気持ちで人がいらっしゃれば話しかけ、何の為に私がここに来たのかという事を話し続けて宮古市役所を全部回り引き上げました。

コーヒーの炊き出しも終わる時間となり盛岡へ帰る事となりました。いだきしん先生より被災地に行った時に被災地の方の為にお手洗い等が設けられているので、ボランティアで行く人間が使わせて頂く事は申し訳ない事だから、という旨のお話を伺っていました。私はいつも、恐らくここが最後と想像できるガソリンスタンドでガソリンを入れ、コンビニでお手洗いを借りて被災地へと行っていました。この時も炊き出しが終わり、盛岡へと向かう国道に入る前の所にマクドナルドを見つけ、その日初めての食事をしました。ハンバーガーとアイスコーヒーを頂いた時、不思議と生命の内に爽やかな風が吹いたのです。町が壊滅し、沢山の方々が亡くなった地でこの様な風が吹くとは自分では驚きでした。春の海の生命の息吹まで感じる風なのです。自然の生命は変わらず生きているのだという事を感じました。地震により人間が作った町は壊れ、沢山の尊い生命が失われました。自然の生命は生きていくのだという事が生命で分かる経験となりました。今でもあの時に感じた春の海の生命の息吹、生命の内に吹いた風があり続けるのです。

その日は盛岡でアポイントメントが入っていました。お一人の方は阪神大震災の時のチャリティーコンサートの時に大変ご協力下さったある会社の社長さんでした。いだき講座も受講された御方でした。被災地に行くので、正確に時間通りに行けない事もあるという事をお断り申し上げ、ご承諾を得、アポイントメントを取らせて戴きました。大変お久しぶりにお会いしたその御方は、驚く事に私の事は覚えていない様でした。いだき講座を受けた事もコンサートにご協力下さった事もまるで覚えがないとおっしゃるのです。大変驚きました。そんな事があるのかと今でも信じられない気持ちでいます。それでも、盛岡での東日本大震災チャリティーコンサートのチケットはご協力下さったのです。何ともいえない気持ちでいましたが、コンサートに再びお越し頂ける事が嬉しい事でした。その後お会いした方も、いだき講座まで申し込まれたのです。岩手県での1日目は私にはとても有意義な充実した1日となりました。かなり疲れていましたが、またベッドに入ってもまるで眠気を感じないのです。前日と同様に冴え渡ってしまうのです。2泊目も眠れぬままに夜が明けました。さすがに体が疲れ果ててしまっていました。しんどくもありました。東京にいらっしゃるいだきしん先生にお電話をさせて戴きました。その時、いだきしん先生は「阿弖流為」とおっしゃったのです。「阿弖流為と言ってごらん」とおっしゃったので「阿弖流為」と声を出した瞬間、体の重荷がとれていったのです。恥ずかしながら、この時私は阿弖流為の事を単に知識として知っているという状態でした。それでも阿弖流為と言う事で体が楽になったので、その日も活動が出来たのです。まず、川徳デパートの社長様にアポイントメントをとらせて戴き、コンサートのチケットのご協力を頂きました。以前、阪神大震災チャリティーコンサートの時もご協力頂いたのです。再びご協力頂き、心からありがたく感謝の気持ちで一杯でした。次のアポイントメントはグランドホテルでした。少し時間がありましたので、丁度お昼時でもあり、この空いた時間で昼食をとる予定でいました。レストランを探しましたが、どこにもなかったのです。レストランがなければ、食事をすることも出来ないと考えながら、車を走らせていた時です。目の前に美しい桜並木が並ぶ川の畔が見えたのです。

私はすぐに車を止め、駐車場に車をいれ、車から降り、川の畔へと歩き始めました。大好きな風景です。魂揺さぶられてならない風景を見、私は嬉しくて嬉しくて大喜びしました。桜の花が満開でした。そして、柳の新芽が輝き、桜色と新芽の早緑色の輝きが、えもいわれぬ美しさで目の前に広がっているのです。ただここにいるだけで幸せを感じました。そして、ふと駐車場から見える所に美味しそうなパン屋さんがあったので、そこで食事が出来るかと思い行ってみました。テイクアウトのお店でしたが、焼き立てのパンを出している所で香ばしい香りがし、見た目もとても美味しそうなパンでした。私は、あんぱんを買い、川の畔で頂いたのです。こんなに美味しいパンはないと叫びながら、大喜びで頂きました。私は、以前八坂神社の厄除けぜんざいを頂いた時も、熱いのに熱さも感じずに一気に食べてしまい、火傷した事があります。あの時も既に魂の導きが始まっていたのです。この時もそうとしか考えられません。喜び、無我夢中でパンを食べ、嬉しくて嬉しくて涙が出る程喜んでいたのです。そして、パンを食べ終わった瞬間「私はここに家を作る」と叫んでいたのです。まさか、と自分で自分の口をふさぎました。が、始まりだったのです。本音は表現した時に成っていくのです。生命はここに拠点を作る様に向かい始めたのでした。ここはどこだろうと見ていると丁度石碑がありました。「近江商人がわらじを脱いだ跡」と記されていました。近江の国からこの遠い盛岡の地までわらじを履いてきた近江商人の存在を初めて知りました。昔の人はここまでわらじを履いて歩いてきたのだから、私は車に乗ってここまで来れる事は大変ありがたい事だと感謝したのでした。そして、グランドホテルでのアポイントメントに向かったのです。とても楽しい気持ちで向かいましたので、その時のお話合いもとても楽しいものでした。チケットをご協力頂き、お暇する時、ホテルの前で私の車が見えなくなるまで深く頭を下げ、お見送り下さる岩手県の方の誠実さに感動しました。大変残念な事にこの方に後日、再びチャリティーコンサートのご案内のお手紙を出させて戴きましたが、封書が戻ってきたのです。亡くなられたという事が書かれてありました。とても悲しく感じました。人間は出会った時が時とこの時も甚く感じたのです。またお会いできるという事はないのだという事を受け止めました。それからは、出会った時が時で、お会いした方には自分の出来る限りの表現をし、コンサートをお誘いする様にしています。この日も幾つかのアポイントメントを取り、コンサートのチケットのご協力を頂きました。沢山ご協力頂きました。そして夜は、またもや眠る事が出来ずに頭が冴え切っていくのです。3日3晩昼は動き、夜は眠れずで疲労困憊となり東京へ帰って来ました。続く…。