世界伝説 第104弾

 京都、八坂祇園ギャラリーから作品展が始まりました。私は、ちりめん生地に心模様を描きました。その心模様は魂の印と名付けました。きっと魂の印を見、魂出会う人がここに来て下さると感じました。私の心模様作品は内面の光景を表わしていますので、魂が動き、出会う方が必ずいらっしゃる事を、創り始めてから驚く程経験しています。心模様のタペストリーはじめ、心模様ブローチ、ペンダント、名刺ケース入れ、たくさんの心模様作品を1階から2階とあるギャラリーに展示しました。そしてゆっくりお話し出来る方には、アンドロメダエチオピアコーヒーのドリップコーヒーをお淹れし、お話をさせて戴きます。4月26日の京都コンサートホールでのいだきしん先生のコンサートをご紹介し、お勧めさせて戴いています。ここでどれだけの方が出会ったか知れません。皆様、突然飛び込んで来て、自分が何故ここに飛び込んで来たのか分からない表情で驚きながら作品をご覧になっていくのです。魂が動いてならないご様子です。そして、コンサートにご参加をお決め下さいます。沢山の方にコンサートにお越し頂きました。いだき講座に繋がった方も沢山いらっしゃいました。魂の表現は魂と出会うという事を経験しました。八坂祇園ギャラリーでの作品展は大成功と終わりました。毎日が出会いの驚きと感動で、大変エネルギッシュな空間と場になっていました。次は、御池ギャラリーでの作品展を開催しました。御池通りから入る道の奥にあるギャラリーでしたので、八坂の祇園ギャラリーの様に通りを歩く人が突然飛び込んで来るという動きはない場所でありましたが、静かに奥にある御池ギャラリーまで入って来て下さる方は、静かな魂の出会いが起こりました。ここでも沢山の方にお越し頂き、コンサートやいだき講座に繋がる方と出会いました。

そして、ボランティアの方々と一緒に一丸となって満席に向かう動きの中で、京都コンサートホールは完売となったのです。私はこの時、京都の宗教団体を担当させて戴きました。お寺や神社や宗教団体を回り、コンサートのご案内をさせて戴きました。初めて伺ったお寺では、コンサートの主旨をお話しさせて戴くとすぐにその場でチケットを2枚購入して下さいました。私の家は深大寺の檀家を務めていますので、そのお話をさせて戴くと、比叡山でのコンサートをやれるのではないかというお話もして下さいました。実現はしていませんが、何か先祖の魂の御縁で、色々な道が出来る事を感じ、とても嬉しく感じたのでした。京都の歴史を教えて下さる住職さんもいらっしゃいました。皆様、高句麗の事はご存知の方が多かったです。コンサートがあるので今までお会いしていない方にお会いし、道を創っていけます事はとても楽しく、普通の人生では経験出来ない事であるという事をいつも嬉しくありがたく感じています。人との出会いによって、人生は拓かれ道は作られます。コンサートがあるので、今まで全く知らない方にも会いに行けるのです。そして最も本質的なお話をさせて戴ける機会は、生きている喜びです。京都コンサートホール完売となり、大変ありがたい気持ちで当日を迎えました。まず第一歩は成功しました。

 京都コンサートホールでのコンサートに向かい、ギャラリーで作品展を開催しながら色々な所にも行って来ました。「2008年5月京都から始まりました」と生まれた作品展開催中も、大沢池に行き魂の詩を書いたのです。この詩は、京都での「高句麗伝説」の時にはいつも詠ませて戴いてきました。「姫よ、私の声が聞こえませんか」という詩です。京都の地にてこの様に私に語りかける魂がいる事がとても驚きでした。が、京都での大地の声を聞く時に、古の都の礎を創った祖先の魂を確かに感じるのです。それまで知らない事を知る事が出来、先祖の生きてきた道を知る事が出来る事は私には喜びでした。京都の街を歩いて、私に語りかけてくれる魂の声を詩に書ければ、私はとても嬉しく、なるべく京都を十代の時の様に歩く様になったのです。ちょうど桜が咲く頃は嵐山へも行っていました。人が沢山いて静かに桜の花を楽しめる雰囲気ではありませんでしたが、桜の花を楽しめる自分になれた事がとても嬉しい事でした。

子供の頃から桜の花が咲きお花見の頃になると、疎外感に苦しむのでした。皆と一緒に桜の花を楽しめなかったのです。桜の花は日本人の花と心の中で呟く自分がいるのです。自分も日本人なのに、何故この様に呟くのかと考えれば、先祖が高句麗から来たからという事は自ずと分かるのです。お花見になると自分だけ一人ぼっちになり疎外感に襲われ、悲しくなるのでした。いだきしん先生に出会い、生まれつきの運命が解放されましたので、この様な因子も解放され、桜の花を楽しむ事が出来る様になった事は喜びでした。京都で嵐山の桜を見た時にその事を感じ、涙溢れたのです。私は子供の頃から、まだ寒い2月、寒中に咲く梅の花を見つけると暗闇に光が灯った様でとてもときめきを感じ、春が来ると喜び生まれるのです。私には春の足音が聞こえていました。春の足音が聞こえると、心が浮き立ってくるのでした。そして桃の花が咲く頃が一番好きでした。私は桃の花が大好きでした。そして桜の花が咲く頃は、疎外感に襲われるのでした。京都でタクシーに乗っている時に、何故かタクシーの運転手さんと桃の花の話をしたのです。運転手さんは、「日本は桜の花、中国は桃の花」とお話し下さったのです。その一言で、胸の内では合点が行ったのです。その後、高句麗の地に行く時にいつも一緒に行くガイドさんに電話で話す機会がありました。ちょうど桃の花が美しい頃五女山に行きたいと願ったからでした。王(ワン)さんと言いますが、紅葉は10月10日といつも限定した日付で答えてくれる方です。桃の花の満開はいつですかと聞くと、4月6日と答えて下さいました。見頃は年によって違いますので、大体で良いんですがと尋ねても、4月6日と限定して日付を教えてくれるのでした。その時に、桜の花はいつですかと尋ねました。「桜の花はありません。中国は桃の花です」と答えてくれたのです。子供の頃から桃の花が好きで、桜の花には疎外感を感じていた理由がよく分かりました。生まれつきの運命はこの様に感覚として自分の身に宿っている事を改めて感じました。やっと桜の花を楽しめる自分になれた事は本当に嬉しい事でした。コンサート開催に向かい動員活動をしている時に、様々な地に偶然行く事も沢山あります。魂の導きと感じています。

 八坂祇園ギャラリーを借りている時に京都駅からタクシーに乗り、八坂の方に向かった時です。路地を通っている時に突然、分譲マンションの案内が出ているマンションの前を通りました。その瞬間私は、夢で見たマンションと同じである事を瞬時に思い出したのです。そして運転手さんに、このマンション分譲ですよね、と突然聞いたのです。運転手さんが知る由もありません。そして私はここで降りますと言い、車を降りたのです。そしてその分譲マンションの中に入り、管理会社の部屋番号を押したのでした。何故自分がこんな事をするのか不思議ですが、その様に体が動いていったのです。ちょうど休業日でしたので、そこまででそれ以上進む事がなくて良かったと感じています。マンションを出て、近辺をぶらぶらと歩き始めました。ある路地を歩いている時に、空き物件があり、不動産屋さんの電話番号が書いてありました。私はその物件に心が惹かれてならず、立ち止まり、不動産屋さんに電話をしてしまったのです。この時も自分では理由なく、心惹かれてならずにしてしまったのです。そして、内見する事になったのです。私は霊魂が見えたり、色々なエネルギーが見える人間なので、中古物件は借りない様にしていました。その空き物件は中古物件で、古い家でした。中に入ると、とても自分が居れる様な空間ではなかったのです。それでも2階まで案内して頂き、あまりに苦しくて窓を開けてほしいと頼んだのです。窓を開け、瞬間目の前に八坂の塔が見え、八坂の塔が歩いて来る様に自分に迫り来たのです。瞬間、私は「先祖が建てた塔です」と叫んでいました。この時の事を不動産屋さんがずっと覚えていました。何が起こったか分からないけど、とんでもない事が起こった事だけは感じたとよく話していました。私も何が起こったか分かりませんが、叫んでしまった自分がとても不思議に感じ、根拠があって叫んだのかどうかを確かめたく、東京の家に帰った時にこの事が書かれてありそうな本を探したのです。自分は、物を探す時でも匂いがしたり光が当たったりするので、すぐに分かる感覚があります。その時は、1冊目に手に取った本に書かれていました。京都の東山八坂の地は、高句麗人の八坂氏の居住区であったと、八坂の塔は高句麗人の繁栄を物語る、という一文を見て、合点が行ったのです。この事は知らない事であったのに、突然叫んだ自分は何なのかという事がいつも不思議に感じる事であります。魂のはたらきとしか考えられないのです。何度か不動産屋さんからこの物件を借りませんかとお電話を頂きましたが、私は京都に物件を借りる気は全くありませんでしたので、お断り致しました。それでも何度かまたお電話を頂き、如何でしょうかと尋ねられたのです。その時もはっきりとお断りしました。そして又、お電話があった時に、あの物件は大きな会社の人が申し込んできました。どうなさいますかと更に聞かれまして、私は借りませんので大丈夫ですと答えたのです。それで終わりと考えていました。そうすると又しばらくし、お電話がかかってきたのです。「大きな会社は申し込みはされましたが、成立はしませんでした。不動産というのは御縁がある方でないと借りないものです。歴史的な地に建つ物件ですので、高麗さんの様に歴史がある家の方に借りて頂けたらありがたいです」とおっしゃったのです。その時初めて真剣に、借りるか否かを考え始めました。もう既に借りる気になっていたのです。計画性もなく、又いきなり借りてどうするのかという懸念はありましたが、既に借りる気になってしまったので、止める事は出来なくなっていました。八坂の塔の真下にカフェを創ると決め、契約をしたのです。まさかこの様な事になるとは考えた事もありませんでしたので、人生とは本当に不思議なものだとしみじみ感じました。東アジアがひとつになる道を創る為に京都でのコンサート活動が始まりましたので、カフェを創り拠点を創っていくのもいいと自分では考えたのです。続く…。