2008年9月7日に突然「高麗恵子スカイロケットセンター」をオープンしました。ある日、夢を見て、東京表参道の路地裏に新築の物件があると夢で知らされました。丁度、原宿で私の心模様作品展を開催していた頃です。ボランティアの方が、一枚の物件案内を私に持ってきてくれました。詳細を見ると、夢で見た物件とすぐに分かりました。すぐに内覧に行きました。正に立地条件も夢に見た通りでした。3階建て、地下1階の4フロア1棟貸しの物件でした。私はすぐにここを借りると決めたのです。が、何の為にここを借りるのかと自分で考えても中々理由が見つからなかったのです。それでも借りると決め、生命が進んでいく感じがあり止める訳にはいかなかったのです。契約の段階で、契約書にある文面が私達には不利な内容であると感じ、弁護士にも見てもらい相談した結果、やはり不利であるとの答えを頂きました。その事を不動産屋さんに伝え、修正して頂く様にと依頼しました。その時、私は契約書の段階でこの様な事があると幸先が悪い様な感じがし、この物件は契約する事をやめようかと考え、その事も伝えたのです。もし、契約書の文書を変えて頂けない様であれば、借りる事はやめますと伝えたのでした。不動産は縁物といつも感じています。縁がある物件は難なく玉が転がる様に転がっていく事を経験しています。何か障害がある物件は、難が多く私は縁がないと感じるのでした。断るつもりでいると、先方からこちらの申し出をそのまま受けた文言に変えてくれた契約書が届いたのです。これはもう断る事も出来ないと考え、契約をしたのです。物件引き渡しの日、ボランティアの人にお掃除に来て頂きました。お掃除はして頂いてもここは何に使っていいのかと、皆目見当がつかなかったのです。ただ、夢のお告げで見た事は「ここから世界へ向けて、新しい人間の生き方と経営のあり方を発信する」という言葉が生まれたのです。その拠点にしたいと考えて借りたのですが、一つ一つのフロアに何を置いていいのか、やる事が見えなかった為に大変迷ってしまったのです。家賃は発生していくのに、何をしていいのか暫く考え、悩み、決まらずにいました。1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎ、少しずつ作品を創ったり、看板の準備をし始めました。
看板は、いだきしん先生に墨と顔彩で書いて頂いたのです。最初に墨で「高麗」という文字を書いて頂きました。その上に金の顔彩を塗ったのです。黄金に輝く「高麗」の文字は、世界をひとつの国とした人間の生きる国の柱となる文字となると見えました。神々しく、威厳があり、美しく、揺らぐものはない大宇宙に立つ柱と見えました。
看板は、出来上がりました。いつオープンしたらよいのかと考え、悩み、中々オープン日を決められずにいたのです。そんなある日、雷鳴轟き、稲光がし、「早くしろ」と怒られている様に感じました。間もなく土砂降りの雨が降ると分かりました。その前に看板を運び出し、立てなければいけないと、咄嗟に考え、そばにいた仲間を呼び「さぁ、運ぶぞ」と言ったのです。自分ではこの様な言葉遣いであったかは覚えていませんが、共に看板を運んだ2人の仲間は「よし行くぞ」と言っていたというのです。私は、看板を生命賭けで運ぶ気持ちになりました。戦の時、生命賭けで敵の目から守り、無事に届けなければいけない大切なものを運んでいる感覚でした。隙なく、素早く、一つも傷つける事はあってはならず、大切なものは大切なまま、美しく運ぶ事を生命賭けて行っていくという気になっていたのです。3階から外の階段を看板を大切に持ちながら、それでいて素早く運び出したのです。そして、地下に運び込み、地下の奥の真ん中に看板を立てたのです。その瞬間「建国」と叫びました。新しい国、新高句麗建国という気持ちでした。この場所は新しい国を創る場所だと、その一言で明確になったのです。