世界伝説 第90弾

パリからドイツ経由でアルメニアへと向かいました。飛行機が出発する前に具合の悪い方が出て、その方を救命するドイツの救急隊の迅速な動きに、人間の持つ力を感じました。人間は、力を発揮し助け合えれば皆生きていけるのだと、人を助ける時の動きの速さ、やさしい事が人間の力であると、この時も感じました。飛行機は出発しアルメニアの首都エレバンの空港に着く頃になると、私の座っている席の前の壁が、光がキラキラキラキラと降ってくる様に見えたのです。私は目の錯覚かと感じながら何度も見ていました。このイメージがアルメニアのイメージとなったのです。不思議な世界、次元を超えた世界と見えたのです。結局、この光は私が着けていた、自分で作った心模様ペンダントが反射して光っていたのだと降りる寸前に気がつきました。一人で笑ってしまいました。そして、エレバンの空港に着き、空港からホテルに向かう道中、杏の花が沢山咲いていました。私には、杏の花が先程飛行機の中で見た自分の心模様ペンダントの光がキラキラキラキラ光っている様に見え、大地が光輝いている様に見えたのです。

花は花ではなく、光と見え、大変不思議な体感だったのです。ここは不思議な所と感じました。空間も今まで知らない空間が広がっている様に感じました。空気までも同じ空気とは思えない不思議な、今まで経験した事のない体感となったのです。ホテルにチェックインをし部屋に行く時に、このまま異星人が私を迎えに来るのではないかと本気で心配したのです。アルメニアの大地や空間は、私にはこの世の空間と感じずに、異次元世界に舞い降りた様な感じがしたのです。このまま異次元世界へ誘われてしまうのではないかと本気になって不安になってしまったのでした。その事を何もお話していませんでしたが、いだきしん先生が部屋に入る直前に「さらわれるなよ」とおっしゃったのです。私は凄いと驚きました。次の瞬間、いだきしん先生が分かって下さっているなら大丈夫と安心したのです。部屋に入り、初めて舞い降りた世界に来た様で、とても不思議な感じで身支度をし始めました。そして、アポイントメントへと向かったのでした。アルメニアの民族衣装が展示してある所を案内して頂きながら、初めて知るアルメニアの文化に触れました。

私には全て未知な世界と感じました。コンサート開催にあたってのアポイントメントは順調に進み、「高句麗伝説」コンサートを開催する事は決まりました。
打合せが終わった後は、アルメニアの観光に連れて行って頂きました。今でも忘れません。アルメニアのある教会に連れて行って頂いた時の事です。その教会は丘の上にありました。丘の上から山々や渓谷、流れる川を眺めていました。いつも大地や空間から聞こえるメッセージを詩に書くのが、私の最も楽しみな事なのです。この時もノートとペンを出し、心澄まし、詩を書こうとしました。何の言葉も生まれない事に驚き、戸惑いました。目の前に見える木は木であっても、木とは書けないのです。流れる川は川であっても、川とは書けないのです。木という名前は誰がつけたのか、何故木という名前になったのか、川は何故川と呼ぶようになったのかと考え始めたのです。この感覚は何なのか、生まれて初めての事に戸惑うばかりでした。じっと内面の深くを感じていました。吹く風の音、鳥の声、渓谷に流れる川の水の音、色々な音が聞こえてきました。この音を何と表現したらよいのかと心澄まし、言葉を見つけようとしました。この空間を言葉にするなら「自由」という言葉が生まれました。その時です。アルメニア人のガイドさんが、近くに寄ってきたのです。私は、ここは何という所ですか、と尋ねました。ここはアザードです。アザードは「自由」と私も同時に口走ったのです。とても感激しました。この様な経験が出来るとは、人生とは本当に不思議なものだと感じました。幼い頃から自然の生命の声を詩に書く事で生きてきました。野の花や草木の生命のエネルギーを感じる事が好きで、そのエネルギーを詩に書いて生きてきたのです。アルメニアに来て初めて言葉が生まれない経験をしたのです。そして「自由」という言葉が生まれたのです。私は、いだきしん先生にお会いし、運命を解放して頂き、生命の言葉を分かれば生きていけると教えて頂き、いつも「生命の言葉」、私は「本音」と表現していますが、本音を分かる事で生きる事の意味や自分がどう生きるかという事が分かってきました。初めて生命が叫ぶようにし生まれた言葉は「自由に生きたい」でした。自由に生きた事がないので、自由に生きる事を分かりたい気持ちで生き始めました。今まで色々な場面で自由に生きる事を経験してきましたが、アルメニアに来て言葉が生まれず困っていた時に「自由」と表現出来た事は喜びでした。それも土地の名前が自由という意味の名前だったのです。ここがアザードという地名となったのは、自由をこの地に感じて名付けられたのではないかと感じました。とても嬉しい経験でした。

エチミアツィン教会も連れて行って頂きました。神と共に生きる事が神を伝える事とのメッセージを受け、感動しました。私も人間とは何かの答えを見出された、いだきしん先生に出会い、人間とは何かが分かっていける人生を世界中の人にお伝えしたくて生きています。よく、いだきで生きるという表現をさせて頂きますが、人間とは何かを分かり生きるという意味で使わせて頂いています。自分がいだきで生きてこそ、いだきが伝わっていくのだと教えられ、とても嬉しく感じました。

また、アルメニアは、世界で初めてキリスト教が国教となった国と知りました。その歴史が残る洞窟に行きました。洞窟の中で何十年も幽閉された人がいたのです。その人にいつも洞窟の中に食事を運んでいた御婆さんがいたので、その人は生き延びてこれたのです。その時の王様が夢を見て、洞窟の中にいる幽閉した人を助けなさいというお告げを受け、この方はやっと救出されたと聞きました。アルメニアの国教がキリスト教になったのはこの事からという事をお聞き致しました。神とひとつに生きる事の勝利と感じ、凄い事が起こっているのだとこの時も大変驚きました。ノアの方舟跡が展示されている博物館にも連れて行って頂きました。アルメニアのガイドさんがノアの方舟の話をしました。私達が黙っていたので、信じられませんかとおっしゃいました。いだきしん先生は、信じられますよとすぐに答えておられました。やはりアルメニアは不思議な場所だと感じ、見るもの全てが珍しく、未知な世界に舞い降りてきた様な体感でした。アララト山が見える平野に立った時、私がアララト山を前に詩を書こうとしていた時、アルメニア人が悲しい歴史の話をして下さいました。民族大虐殺があった地とは知っていましたが、その人は杏の木で作られるドゥドゥクという笛の話をされたのです。「ドゥドゥクの笛は誰が吹いても悲しいの。アルメニアの歴史が悲しいから。」とおっしゃったのです。胸に悲しみを感じ、涙が滲みました。そして、アララト山は自分達の精神の源の地であるけれど、アララト山に入るとトルコの法律で殺されるという話をされたのです。私は大変驚きました。自分であれば、五女山に入れば殺されるという事だと考えると、胸が引き裂かれる程悲しく、辛い事と、耐え難き悲しみで一杯となりました。そして、アララト山を眺め、心澄ましていると宇宙の遥か彼方より「宇宙の生まれる3段階前によってより人間は争いを繰り返し、解決をみない。世界は平和になることがない。」とのメッセージを受けたのです。この世で何を考え、解決に向かおうとしても解決はない事を、そのメッセージにより生命をもって分かりました。この世の限界を超え、宇宙の生まれる3段階前の世界が拓かれないと、戦争は繰り返され、延々と平和は来ないのだという事は腑に落ちる事でした。そして、空間からは「別次元を創る事で生き延びる道を見出した」とのメッセージも受けたのです。ノアの方舟跡がある地だから、この様なメッセージも聞こえてくるのだと受け止めました。今、私達も別次元を創り、生き延びる世界を創り出す事が生き延びる事と私はいつも考えています。アルメニアに来て、この様なメッセージを聞けた事は、これからの生き方を示して頂いたと感じ、とても勇気と希望を頂きました。アルメニアでの「高句麗伝説」が大変楽しみとなりました。続く…。