2007年が明けました。2月、初めてマケドニア、ルーマニアに行く事となりました。ブルガリアのトルノボ市長はじめ、市の担当者の方々からご紹介頂いたのです。ブルガリアにて、市の担当者の方とお話している時に、どこかご紹介頂ける国はありませんかと尋ねました。そして、お話の中でブルガリアから世界へという表現が生まれました。もう一度、来年ブルガリアで「高句麗伝説」コンサートを開催させて戴き、そこから世界を巡るという話が弾みました。担当者の方はご賛同下さり、ご紹介下さるとお約束下さいました。そして、ご紹介頂いた国がマケドニアとルーマニアだったのです。早速、まずは打ち合わせと下見に行く事となり、年が明けてすぐに行く事にしたのです。丁度、2007年が明けた頃から、私は、このままでは行き詰ると感じていました。何か苦しく、どこか先に進んでいけない、ある何かを感じていたのです。内面を整理する事は、毎日行なっている事です。いだきしん先生にお会いした時より、紙に自分の気持ちを書き出すという事を教えて頂き、毎日行なって参りました。毎日紙に書く事だけは、欠かした事は一度もありません。そして、先生から本音まで行き着く様に書いていく事も教えて頂きました。最初は、今感じている事を紙に書き、何故と問う事を教えられ、実行しました。当時、営業をしていましたので、私にとっては初めて会う人、初めての経験ばかりでした。それも最初は全く出来ませんでしたので、人にお会いしても、受け容れられる事はなく、強い口調で断られたり、嫌な反応をされたりする事の連続でした。いだきしん先生がそのまま感じた事を紙に書き、何故と問うたら良いと教えて下さいました。そのまま書けば、嫌な思いをしたとか、どうしてあの様な言われ方をしなければいけないのかとか、言われた事が心に残りずっと気になるとか等々を書き出しました。何故と問うていくと、自分の事を分かってもらえなかった、と書きました。では何故自分の事を分かってもらえないと辛いのか、もしくは自分は何が分かってもらいたかったのか等々書いていくのです。最後に、本当に表現したい事が表現出来ていなかった事に気づくのです。瞬間「やったー」と万歳したい気持ちになります。ここまで行き着くと、明日は表現してみようと明日への意欲が生まれてくるのです。そして、夜は健やかに休むことが出来たのです。これを先生にお会いした日から毎日行なっていました。2007年が明けて、何か行き詰まる感じやすっきりしない感じを言葉に書いていく中で、これからは、遥か彼方に繋がる内面で生きないと、自分は生きていけないという事に気がついたのです。いだきしん先生のコンサートでは、いつも無限な世界と通ずる内面を経験します。すると、心身が自由に解き放たれ、大宇宙で生きるダイナミックな生命を感じるのです。そして、何でも出来るという意欲と力が湧き出づるのです。人間の内面は、無限な世界と通じていく事を、いだきしん先生のコンサートでは毎回経験させて戴いています。これからは24時間、四六時中、遥か彼方の世界と繋がり生きる事なくしては、苦しいだけだという事に気がつきました。縄文の遺跡に立った時も、高句麗の古墳に入った時も、古代人は、内面は宇宙に通じていた事を感じたのでした。故に、どの様な環境でも創造的に生きてきたのだという事を教えられました。私は子供の頃から、この社会で生きる事はとても辛いと感じ、苦しんで生きてきました。人間の生きられる世界を創りたく、いだきをはじめさせて戴きました。自分が生きる世界は自分で創っていける生き方が出来ます事は、真にありがたい事といつも感謝し生きています。この様な社会状況であっても、内面が遥か彼方に繋がっていけば生きていけるのだと分かり、今度のマケドニア、ルーマニアへの旅は、完全にそうなる訓練をすると心に決めました。行く前に、行きたいというよりも、どこか億劫な感じがあったのです。が、遥か彼方と繋がり生きる事の訓練と考えた時から、楽しみになって参りました。遥か彼方に通じ生きる旅の訓練のお供は、どの本を持って行こうかと考えました。ふと聖徳太子の本が読みたくなり、書棚を探しました。以前「文化と社会学序説」講座を、いだきしん先生が開講して下さいました。その時、聖徳太子のお話を沢山聞かせて戴きました。当時、聖徳太子の本を沢山買って読んでいたのです。多くの本の中で一冊手に取り、鞄に入れ旅立ちました。ウィーン行きの飛行機の中で、丁度開いていたページの文字が心に飛び込んできました。そこには、聖徳太子の母方の祖母は、高麗姓と書かれていたのです。飛び上がる程驚き、心臓がドキンとする音まで聞こえました。頭の中は雷でも落ちたような衝撃を受けました。信じられない気持ちでした。この本は「文化と社会学序説」講座を受けている時に読んだ本であるのに、その時は、この一文を読んでいなかったのだろうかと考えました。今初めて知った衝撃だったからです。驚きながらも、生命の内の感覚を辿ると、色々な事が紐解けて来るのでした。2004年、国創りと銘打ち「高句麗伝説」を南は沖縄から日本列島を北上し青森県まで開催した年、大阪での「高句麗伝説」開催の日にホテルから会場に向かった時の事です。とても懐かしい香りがし、車の中から街を眺めていました。何か特別なものを見た訳ではないのですが、聖徳太子に出会った様に感じたのです。その時に懐かしく感じた存在は、聖徳太子と自分では感じたのです。それから聖徳太子に興味を持ち、聖徳太子の足跡を辿り奈良や大阪、兵庫県のお寺巡りをした事があります。私は、神社やお寺や色々な所に行った時に、その地から受けるメッセージを聞く事が大好きです。真実を分かるからです。まず案内板に書かれている事は読まずに、神社に行けば境内に行きお参りをします。手を合わせ、目を閉じるとメッセージが聞こえます。そのメッセージから、この神社に祀られている神様は、どの様な御方か、存在かと分かってくるのです。時には、本当の神を覆い隠し、あたかも本当の神の様な偽物が祀られている時もあります。私は、本当の事を分かりたいといつも望んでいます。聖徳太子の足跡を辿った時、いだきしん先生の息子さんと一緒に行ったのですが、息子さんは聖徳太子の事を調べていました。私が境内で受けたメッセージを話すと、よく驚いていました。高麗さんてよく分かるのですね、といつもたまげていたのです。

世界伝説 第73弾
聖徳太子の足跡を辿る事は、とても楽しい事でした。ある時、兵庫県まで行こうとした時、途中大渋滞となりました。カーナビを見ると、とても行き着き、帰って来れるような時間ではなくなりました。その日は、大阪で講演会をする予定があったからです。明らかに間に合わないと判断し、新幹線に乗るか、ここで引き返すか、どちらかの判断をしなければいけない時間になった時、神社に着いて滞在時間を計算したのですが、人に会う訳ではなく、神様や魂に会うので一瞬でいいと、一秒もかからないと計算した時、笑いが込み上げました。人に会う時は、ご挨拶をしたりし、大体は数分とこちらでは考えても、人に会うという事は時間がかかっています。目に見えない世界の存在に会う時は、一瞬であるのです。一瞬であるなら、もしかしたら間に合うかもしれないと再び計算をし直した時に、渋滞が次第に解除され、行くと決断できたのです。計算をした通り無事に神社に着き、一瞬でご挨拶をしメッセージを受け、すぐに車に乗り込み、予定した時間前には大阪に着くことが出来、講演会も無事に出来たのでした。ある時は、奈良の飛鳥寺へ行きました。
聖徳太子の師であった高句麗の慧慈が作った寺と聞いていたからです。聖徳太子と慧慈は血肉を共にし、亡くなった日も一年違いで同じ日であったと知りました。のどかな田園風景が続き、とても穏やかで心地良い地でした。
飛鳥寺の周辺の田んぼを歩く古人の姿を見ました。出で立ちから慧慈のお姿とすぐに分かりました。懐かしく、胸震え、涙しました。その地に立った時に聞こえたメッセージは「王は、国が滅ぶ事を分かり、私をこの地に遣わす。私は王の魂ひとつに、この地で国創りを始める。1000年、2000年先を見、国創りをする王の意を受け、この地で働く。」という内容でした。私もここに立ち、古の風に吹かれ、1000年、2000年先を見、国創りをすると、お腹の底から強い気持ちが湧いてきました。忘れられない経験です。奈良での「高句麗伝説」の時には、毎回詠ませて戴いてきました詩であります。その聖徳太子の母方の祖母が高麗の人であったとは、初めて知り、私は何とも表現し難い感覚が生まれ、これから新しい人生が始まるという気持ちになったのです。マケドニア、スコピエの地に降り立った時、遥か彼方と繋がり生きると心の中で言いながら歩きました。続く…。