2005年は再び12月にレバノンへと旅立ちました。レバノンでの活動は続きます。レバノンにて、一緒にコンサートを開催する為に動いて下さったレバノン大使の友人がブルガリアの人をご紹介下さいました。いつものホテルのラウンジにてお会い致しました。是非、ブルガリアに来てほしい、という依頼だったのです。私は、何故ブルガリアなのかと考えても意味が分からずに戸惑いました。それでも、話し合う中でブルガリアに行くよりない流れとなっていったのです。不思議な気持ちでした。恥ずかしながら、ブルガリアの歴史も知りませんでした。ヨーグルトでは有名であるという事を知っている位なもので、本当に恥ずかしい限りです。ただ、2001年にエチオピアでコンサートを開催する時に、ブルガリア大使館に行かせて戴いた事があります。とても爽やかなご対応をして下さった事をよく覚えています。ブルガリアについては、何も知らないのですが、とても爽やかな印象が残り、私にとってはとても良いイメージをもっています。レバノンでは、次のコンサートの事についても話し合いました。前回お会いした、高名な詩人がおっしゃった様に、ティールで定期的に詩を詠む事で平和が実現する、という事は是非、やってみたい事でありました。また、初めてレバノンに来た時に、とても印象に残った場所はバールベックです。バール神が住むという神殿にて、ピンクの光、黄色の光、青い光、グリーンの光、色とりどりの光が集まり、ひとつになっていく光景が見えたのです。バール神の事は、自分にとっては、とてもつながりがある神様と感じてきました。先生にお会いした頃、高句麗のルーツを調べている時に、自分では見つけられない様な本を人様から頂く事がありました。本を読む中でバール神に行きついた事をよく覚えています。そして、私は「卑弥呼」という物語を書き綴りました。私は、目を閉じると、目に見えない世界がよく見えます。見えるがまま言葉に表し、物語を創ったのです。最後にバール神が顕れた事がとても衝撃的な経験でした。自分の精神の源に通ずると感じてきました。バール神が住む神殿に辿り着けるとは、知らずに辿り着いたので、大変衝撃を受けました。そして、光と光が出会う光景に出会ったのです。ここでコンサートを開催出来れば、平和実現への道となるとも見えたのでした。




