世界伝説 第52弾

レバノンでの夢の様な事が起こった経験を経て、私はレバノンの為に力になりたい気持ちがはっきりと意志として立ちました。再びレバノンに来られる時を早く作っていきたい気持ちで次に又来れる事を楽しみにし、レバノンを発ちました。コンサート後の空港では、たくさんの空港で働くレバノン人に声をかけられ、皆様大変親し気な笑顔をもって語りかけてきました。とても楽しく、人とのふれあいの瞬間瞬間は光に満ちていました。私の目には空間がキラキラと輝いていました。レバノンに希望の光が灯ったのだと見え、私は心から嬉しく感じ、この様な偉業を成し得た事に深く深く頭を垂れ、感謝の気持ちが溢れ出るのでした。自分一人でできた事ではない事は自分が一番よく分かっています。たくさんの働きかけがあり、たくさんの魂が応援してくれ、共に動き、この様な機会を作って下さったのです。私が想像もできない展開となったのです。時間に囚われ生きていたらあの瞬間は訪れなかったのです。たくさんの働きにより時間を超え新しい神に出会えたのです。そして時空を超え世界中のフェニキアの魂が一斉に集まって来たのです。私は怒涛の如くと表現しましたが、真に怒涛の如くにフェニキアの魂が押し寄せ、出会い、感極まり号泣したあの瞬間を忘れる事はできません。

日本に帰り、大阪でのいだきしん先生の応用コースの時に伺ったお話が、深く合点が行きました。「人間は生まれてくる親も環境も選べず生まれ、生まれたら運命が決まっている。」私はこの事をずっと苦しみ生きてきました。死ぬ程苦しんだ事なのです。けれどこの様な話をしても、人は皆当たり前と言うだけで考える事ではないと言い、話は進まなかったのです。当たり前の事は考えてもしょうがないと、皆そうやって生まれてくるのだからと人は言っていました。私もそうである事は分かりますが、受け入れ難かったのです。自分が好まない運命を宿し、運命には逆らえず、運命のまま生きる事が悲しくてやり切れなくて、生きていけない程苦しんだのです。幸い、いだきしん先生に出会え運命解放されるという奇跡を経験できたので生きて来れたのです。私の中で運命解放され、真の自分で生き始め、とても幸運に恵まれ素晴らしい人生が拓かれましたが、心の奥深くで自分の人生を恨む気持ちがありました。父から言われた高句麗王直系子孫である事を忘れてはならないという事はいつも心に刻んであります。が心のどこかで、好きで高句麗王の子孫で生まれた訳ではないけれど、と言いたいある何かがありました。そして自分で好んで人の運命が見えたり、霊魂が見えたりし生まれた訳ではないのだけれど、という恨みまでありました。それらが、レバノンの「高句麗伝説」で感極まり号泣した瞬間、正に新しい神に出会った瞬間、新しい運命拓かれるという経験となったのです。この運命は喜び受け容れていけると生命全てで感謝し、この瞬間を受け容れる事ができたのです。

いつも自分を恨み生きてきました。生まれて初めて自分を受け容れ、新しい運命を受け容れる事ができたのです。こんな日が来るとは想像すらできない事でした。この様な心境になるとは考えられない事だったのです。生きているという事は必ず答えが出るという事に頭を垂れました。新しい神に出会い、新しい自分となり、新しい人生が拓かれたのです。自分を否定したり恨む事なく、自分のままに生きられる人生となったのです。心からありがたい事と感謝し新しい人生を生き始めました。続く…。