世界伝説 第37弾

タンザニアでのコンサートが大成功と終わりました。帰国の途では、ケニアで乗り継ぎをしました。何があった訳ではないのですが、大成功したコンサート後はどこにいても楽しくて、光満ちている空間に見えた事がうれしかった事をよく覚えています。空間が光満ちていれば、何をしても楽しく感じていける事を経験しました。タンザニアでのコンサートは、ケニアにも伝播したのだと感じ、とても心地良く過ごせました事がありがたい事でありました。日本に帰国し、すぐに六本木の本社にて、いだき講座の受講生の方々に、タンザニアでのコンサートが大成功した事をご報告するお手紙を出した事をよく覚えています。本社の3階にお手伝いの方々がお集まり下さいました。大仕事を終えた後の安堵感と、とても人間が大きくなった感覚で皆様にお手紙をお出しした事をよく覚えています。その後が大変でした。やり遂げた後、何もなくなってしまい、どうしていいのか分からなくなってしまったのです。タンザニアへ行く前と同じ事をする気にはなれません。かといって何をしたいかも分かりません。こんな事になるとは、予想もしていませんでしたので、戸惑う毎日が続きました。どの様な時も、本音を分かる事で生きてこれましたし、先を創ってこれましたので、毎日紙に本音を書き出していました。ある時、内から「農業がしたい」という本音が生まれました。自分でも驚きました。自分には出来る訳がないとは思っていますが、本音が生まれたので考えました。ふと、先生の生まれ故郷の青森県に行ってみたい気持ちが生まれました。何をする為にという目的はありませんでしたが、青森県の自然の中で、いだきしん先生のコンサートを開催出来ればいいと願う様になりました。

まずは行ってみようと決め、飛行機に乗り込みました。青森空港からレンタカーを借りて、いだきしん先生の故郷を訪ねました。野外コンサートが出来る場所を探しました。中々、ここと感じる場所がなく、目的を果たせない気持ちで悶々としていました。青森の自然の力に癒され、車の中では気付けば、こっくりと居眠りをしてしまうのです。はっと目覚め、また外を眺めて場所探しをしようと気を取り直すと、気付けばまた寝てしまっているのです。大自然に抱かれて、心身癒され、疲れが取れていっている事を体で感じました。普段緊張している中では、疲れが取れる事はないのだという事を青森に行く度にいつも感じてきました。青森に行くと、いつも芯から眠くなり、寝てしまうのでした。この時は、どれだけ寝たでしょうか。まるで寝に行った様だと苦笑が生まれます。丁度、嶽の辺りを通っている時に「嶽のきみ」とダンボールに書かれた文字を見ました。以前より「嶽のきみ」は美味しいと、いだきしん先生からお聞きしていました。また、頂いた時に、本当に美味しいと感動して頂きました。道端で嶽のきみを茹でたものが売られていました。眠かった体は目覚め、車から降り、嶽のきみを買いに行きました。そして、急いで食べはじめたのです。何も急ぐ事はないのに、生命が欲していたのだと分かります。あまりに美味しくて感動しました。美味しいものを人様に伝え、販売していく事は、人様のお役に立てると考えました。「生命の農業」を始めたきっかけです。この時は、嶽のきみを食べた事だけ覚えている状態でした。「生命の農業」が始まったきっかけとなりました事は、後から考えれば、大きな仕事であったと考えます。が、その時は、とうもろこしを食べに来たと、それだけの為に青森に来た様な感覚となり、少し情けない気持ちで東京に帰ったのです。

それから、何日経ったか分かりませんが、ある朝、私は突然、電話の受話器を持ったのです。そして、メモしてある電話番号を押しました。電話に出た方は「青森県庁です」とおっしゃいました。私は、自分が青森県庁に電話するという気もなければ、瞬時に何故したのかと、自分の行動が理解出来ずに頭が真っ白になりました。時間にすれば、1秒も経っていないのでしょう。頭が真っ白になりながら、瞬間私は口走っていたのです。「知事様はいらっしゃいますでしょうか」と。言ってから自分でも驚きましたが、もう既に言葉に出して言ってしまっていましたので、引っ込める訳にもいきません。すると、電話の向こうの方は「少々お待ち下さい」とおっしゃったのです。そして、次には「知事室です」というお声が聞こえました。私は急いで「NPO高麗の代表の高麗です」と名乗りました。すると、電話の向こうで「高麗さん、コンサートはいかがでしたか」と尋ねてこられたのです。大変驚きました。瞬時に、タンザニアコンサートの事だと気がつきました。私は、タンザニアコンサートに向かう前に、日本のリーダーにお手紙をお出しし、コンサートの開催をお伝えし、ご賛同頂ければ、メッセージを頂ければありがたいと、お手紙をお送りしていたのです。青森県知事の三村申吾様からメッセージが届いたのです。先生の故郷の県からメッセージを頂けました事は、大変ありがたい事でありました。私はすぐにメッセージを頂戴しました事のお礼を申し上げ、タンザニアコンサートは大成功でしたとご報告させて戴きました。そして、南部アフリカ開発共同体(SADC)の首相会議の一環で開催しましたので、私の隣にはタンザニアの首相がいらっしゃいました、ともご報告させて戴きました。電話の向こうの方は、ご自身が知事の代理で私がお送りさせて戴いたDVDをご覧になり、メッセージを書いて下さった事をお知らせ下さいました。何というご縁でしょうかと驚きました。そして、私は青森県でも野外でコンサートが出来ればいいと願っています、とお話したのです。すると、その方は「縄文の遺跡がありますよ」と教えて下さり「三内丸山遺跡」を教えて下さったのです。私は、直観的に「ここに行きたい」と感じ、心が動きました。「青森県で、縄文の遺跡でコンサートをする様に動いてみます」と申し上げ電話を切りました。何かとても嬉しくなり、胸がわくわくするのでした。「農業がしたい」という本音から、青森県へ行き「生命の農業」が生まれ、縄文の遺跡でのコンサートへの道が見えてきたのです。本音はどの様に展開していくか分かりませんので、いつも未知なる世界へ向かうときめきを感じ動いています。続く…。