今日は仙台から盛岡へやって参りました。盛岡に着いてすぐに呼ばれるようにし、川の畔に行きました。野の花が咲いて清らかな水が流れる音を聞き、早春の風に吹かれると生命は喜び躍動します。川の畔に水仙の花が咲いていました。鮮やかで清らかな黄色の水仙の花を見るといつも心が清められ澄んでいくのです。水仙の花を見つけることができ、とてもうれしく心が躍りました。そして梅の花を間近に眺めたひと時も、とても豊かで楽しい時でした。八坂神社の境内で梅の花の香りに誘われ梅の花の木の下に立ち、今日のように梅の花を近くで眺めたのです。「ここに高麗を、ここに高麗を。。。」とメッセージが聞こえ八坂の塔の真下に高麗ギャラリーカフェを作る巡りとなったのです。そんなことを思い出しながら盛岡の地にて、このように梅の花を眺める時が来ることも想像できなかった人生であったと、しみじみ本音で生きる人生を考えました。いだきしん先生に会う前、体が動くうちに北へ向かおうと辿り着いたのが岩手県でした。北上川の畔で川面に光を見たことが忘れられない経験です。いだきしん先生から「自分の生命の真の光を見たのだ」と教えて頂き深く合点がいったのです。その時は生命の真の光という言葉すら知らず分かることはなかったのです。とても縁がある地であることをいつも不思議に感じながら、盛岡に来させて戴いています。東日本大震災が起こった時、東北に行かずにおれずに被災地にコーヒーの炊き出しに行こうと必死で行く先を探しました。縁があって来れたのは岩手県の被災地だったのです。そして盛岡に拠点を作り毎月いだきしん先生の講座を開催させて戴いています。復興は心の復興よりないと身に沁み感じた被災地での経験でした。盛岡の地でいだきしん先生の講座にて人間とは何かを深く学べます事、そして身につける経験こそが復興の原点になると、今になるとよく分かるのです。盛岡の地で時々コンサートも開催させて戴いていますので復興支援の為に作った拠点を活かしていけますよう働いていきたい気持ちでいっぱいです。今日も東北センターにて「死について」の講座を経験させて戴きました。「死について」を考えることは生きることを考えることです。社会の仕組みの中で人間の生死まで作られてしまうことは、あまりに悲しい現実です。一人でも自律し生き、人間の生きられる社会を作ることが急務と身に沁み感じます。日々大いなる存在とひとつに、真の人間の人生を生きていくことが世界を変えていくと分かります。ありがとうございます。
盛岡/NPO高麗東北センターにて