1ヶ月近い海外「高句麗伝説」コンサートツアーから帰国し、また再び8月にはヨルダンでの「高句麗伝説」開催に向かい旅立ちました。日本からヨルダン、アンマン空港に降り立ちました。パスポートコントロールは、とても緊張する空気でした。指紋を採ったりと厳しいチェックが行われていました。中東で生きる事は、大変緊張感ある厳しい状況下で生きる事なのだという事を、国境検問所や空港等では、いつも感じます。初めてヨルダンを訪ねた時、ラクダが歩いて似合う時間が流れていました。タイムスリップした様な感覚となり、お腹の底から笑いが込み上げてきたのでした。
穏やかな時間が流れる地でありながらも、緊張感漂う地であったので、日本からアンマン空港に降り立ち、パスポートコントロールを通る時の緊張感は、まるで違う国に来たかの様でした。ヨルダンでは、最初に記者会見が行われました。
ある記者が私に質問しました。「貴方は、レバノンのティールで亡くなったお父様の魂に会ったとおっしゃっていますが、お父様は何色の服を着て、どの様な表情をしていましたか。」と。この質問を聞いた時に、私はお腹の底から腹が立ちました。何という事を聞くのかと感じたのです。魂が服を着るという表現が、私には表面的に感じたのです。この様な質問に答えたくもない気持ちになりましたが、私は即座に答えたのです。「私が今ヨルダンに来て『高句麗伝説』を開催するという事が、ティールで亡き父の魂に出会った証です。人間は死んで終わらない。魂は永遠と分かったので、今私は生きています。」と答えたのでした。その記者は大変喜びました。「この様な話は中東には必要な事なので、特集番組を作ってテレビで放映したらいい」とおっしゃいました。レバノン人に会った時も、私からすると、何という事を言うのかと瞬間、腹が立つ事もあったのです。が、自分の気持ちや、やろうとしている事をはっきりと伝えると、とても喜んでくれるのです。次第に私は、試す様にこの様な言い回しをしてくるのかと感じる様になりました。それをむきになって怒っている自分に苦笑します。この時も、予想外の展開となり、驚いたのでした。が、私の経験が中東には必要であるとおっしゃって頂いた事はとてもうれしい事でした。
ヨルダンでの「高句麗伝説」コンサートの舞台は、ジェラッシュの遺跡です。以前来た時に下見に行ってきました。遺跡から大地の声を聞き、詩に書いて歩いていました。遥か彼方からの風が吹いて、遥か彼方からのメッセージを詩に書きました。