世界伝説 第75弾

マケドニアのスコピエから、ルーマニアの首都ブカレストの空港に到着しました。ここではブルガリアから来て下さる市の担当者と待ち合わせをし、一緒にギュルギュウ市に行く予定でした。夜に着きましたので、すぐにホテルに入りました。ルーマニアでは一番良いホテルと言われていたホテルですが、私にはその様に感じられず、とても苦しく感じました。ブカレストの街は、私には血腥く感じ、黒いものが沢山見え、苦しく感じました。苦しみの元を辿れば、独裁政権により沢山の尊い生命が犠牲になっている事に行き着くのです。

人間の歴史は、本当に悲しい事ばかりが繰り返されます。その地に降り立つと、土地から感じる苦しみ、辛さ、重荷から、どれだけ大変な状態で人々が生きてきたかという事を身に沁み分かるのです。苦しい夜を過ごし、翌日、ギュルギュウ市に向かいました。ブルガリアからの市の担当者の方が中々来なくて心配しました。やっと到着された時、初めてルーマニアに来たという事をお聞きしました。隣の国であっても初めていらっしゃるのだという事が驚いたのでした。一緒にギュルギュウ市まで行き、市の担当者の方とのアポイントメントを共にしました。コンサートは開催する事が決まっていますので、顔合わせと、打ち合わせのアポイントメントでありました。

 

とても貧しい町である事に驚きました。スタッフが泊まるホテルの下見に行きましたが、とても粗末なホテルでありました。私は、ここには泊まれないという事だけは分かりましたので、どこに泊まるかを考えなくてはいけなくなりました。人々の暮らしが悲しく、とても暗い気持ちになるのでした。ドナウ川の畔でランチをしましたが、小学校の頃「ドナウのさざなみ」という音楽を聞いた時に、その響きがとても素敵に感じ、きっと素敵な所なのだろうと想像していました。そのドナウ川の畔に来ましたが、音楽と私が想像した川辺ではありませんでした。もっと違う場所に行けば、音楽に現わるドナウ川が見れるのかもしれませんが、ギュルギュウの地で見るドナウ川は、とても寂しく、侘しさを感じる川の畔でした。

 

食事も質素であり、この地は豊かではない事をとても身に沁み感じ、悲しい地だと感じました。再びブカレストに戻り夕食をとっている時、私の胸は怒りや悲しみ、寂しさ、やりきれない思いに襲われました。何故か長兄との確執が浮き彫りに現れたのです。両親も亡くなり、兄と争う事もなくなりました。争っていた原因は両親だったからです。両親の介護について、こうしたいという考えが強く、その考えが合わずによく争っていたのです。両親が亡くなり、争う原因がなくなりました。すると長い間の確執や葛藤が同時になくなりました。もう何もないと感じていましたが、胸の奥深くに、まだ残るものがあったのだという事を自覚しました。ギュルギュウ市の寂しさ、侘しさの中で、それでも人は力寄せ合い、助け合い生きているのだと感じたのです。何故自分と兄は力寄せ合い生きる事が出来なかったかと何とも言えない嘆きの様な、後悔の様な思いに襲われたのです。が、これは自分の思い込みやこの地の苦しみを被っているという事も感じていましたので、何か妄想に取り憑かれた様な感覚でした。黒いものが見えたからです。内面を感じる事に尽くしました。内面は愛です。内面は無限な世界と通じ、黒い闇を溶かしていきます。独裁政権の下で生きる人々の苦しみを感じました。この苦しみは、いだきしん先生が引き受け、コンサートによって表現される時に光となり、生きる力と変わるのだと見えます。その為にここに導かれたのだと考え、内面深くを感じながら夜を過ごしました。この度の旅は、遥か彼方と通じる事を訓練する気で来ましたので、闇に覆われる中にあっても、内面深くを感じ、遥か彼方と繋がる事に尽くしていくと、苦しいながらも健やかにいれる事を経験する事が出来ました。翌朝、まだ暗い内にホテルを出、早朝の便に乗る為に空港に行った事を覚えています。空港でも血の匂いがし、下腹部が針に刺された様に痛んでいたのでした。この時も不正出血が起こっていました。ヨルダンの時も、またルーマニアでも針に刺された様な痛みと共に不正出血が起こったのでした。そして、土地から血の匂いがするのでした。人間の歴史は、血塗られた様だと感じ、胸が暗くなりますが、遥か彼方に通じていくという事を心に、必ず乗り越えていくという気持ちで必死で過ごしました。何故かその時の会話だけを今も覚えているのですが、空港のカウンターで農業をやったら3日で死んでしまうよという事を、いだきしん先生はおっしゃったのです。当時、私は畑仕事をし、自然の生命の中で生きていきたい気持ちが生まれていました。その様な話をしていたからだと思いますが、ふといだきしん先生がブカレストの空港でそうおっしゃったのです。下腹部が針を刺されたように痛んでいましたので、そのお言葉は体に響きました。そして、いだきしん先生はもう一言、畑の声は聞こえないよとおっしゃいました。当時、私は「大地の声」というコンサートを開催していました。歴史ある地に行くと大地からメッセージが聞こえます。そのメッセージを詩に書く事が、好きな事なのです。ある時「大地の声」というイベントを始めました。最初は、いだきしん先生の CD を流しながら一人で詩を詠むイベントでした。ある時から、いだきしん先生がピアノを弾いて下さる事になり、いだきしん先生のピアノ演奏と共に詩を詠ませて戴く事になりました。大地には歴史が刻まれているといつも感じています。書かれた歴史は、書いた方の見方による歴史ですが、真実の歴史は一人一人の生命に刻まれ、大地に刻まれています。私は、そのメッセージを詩に書く時、真実に出会い、魂が覚醒するのです。歴史ある地から受けるメッセージは、歴史の真実と受け止めています。確かに畑からは歴史の真実や、魂の声は聞こえません。以前エチオピアへ行った時に、エチオピア全土を撮影の旅で回りました。地平線が見える程広大な荒野に立ち、生まれる言葉はありませんでした。また目の前に牛が歩いているのを見た時に、ただ「牛が歩いている」という言葉より生まれなかったのです。詩にはならない事に気づき、苦笑した覚えがあります。当時「高句麗伝説」にて詩を詠む事に畏れを感じていたのだと考えますが、自然の中で暮らしたい気持ちと、世界平和実現の為にどんどん世界へ向かい活動していきたい気持ちと2つの本音があったと覚えがあります。私は世界へ向かい、平和実現の為に活動したい自分の本音を確認しました。薄暗いブカレストの空港での、いだきしん先生との会話がずっと心に残っています。引っ込むより出ていく事といつも心に言い聞かせています。遥か彼方に繋がる訓練の旅は、自分の弱点が浮き出て解決に向かう経験をさせて戴いています。遥か彼方に繋がる事が全ての答えと受け止めます。とてもありがたい経験です 。続く…。