ヨルダンでは、イエス・キリストが洗礼を受けた所に連れて行って頂きました。夢の様な事が待っていたのです。私は、ドキドキしながら向かいました。とても暑い日でした。車から降り、案内の人の後をついて公園のような所を歩き始めました。突然、私の靴の底が抜けてしまったのです。大変驚きました。完全に、抜けて取れてしまったので、私は地面に直接足をつけて歩くよりなくなったのです。このスニーカーは、生まれて初めて先祖高句麗発祥の地、五女山に行った時に履いていた靴なのです。五女山の土を踏んだ靴、また、高句麗の地を歩いた靴は私にとっては宝物です。今まで、それ以来どこにも履いていかなかったのですが、何故かこの時の旅に五女山に行った時のスニーカーよりないと感じ、五女山へ行った時以来初めて、ヨルダンに履いてきたのです。まさか、イエス・キリストが洗礼を受けた地で底が抜けるとは、大変驚きました。忘れられない出来事です。イエス・キリストが洗礼を受けた地にて目を閉じ、内面を感じ、時空を超えた世界に飛翔しました。この世の音はなく、周りの音は一切聞こえない異空間にいました。祈りを捧げている様な気持ちでいました。時空を超え、イエス・キリストの聖なる光と出会えたと感じます。胸を貫く悲しみ、言葉に尽くせぬ存在に出会い、私は言葉を失いました。詩を書こうと思ってもとても書けるものではありません。全てはこの聖なる光を汚してしまう様な感じで、内面深くをじっと感じるよりありませんでした。

世界伝説 第59弾
時空を超えた世界から、この世に戻り、目を開けました。この世の様々な音が聞こえる様になっていました。まるで違う世界に飛翔したのです。風もない世界でした。この世に戻ってきたら、暑い中にも風が吹いていました。私は、この熱さで靴が溶けてしまったのかと考えていました。完全に溶ける様になくなったのです。その靴は案内人の方が「ここに捨てていきましょう」とおっしゃったのです。私は、ここに捨てなければ何処にも捨てられずに日本に持ち帰り、ずっととっておいたと考えます。イエス様が洗礼を受けた場所だから捨ててこれたのです。自分にとって、1998年5月に生まれて初めて五女山城に行った時の胸を貫く悲しみが全身を貫き、涙し、号泣し、真と偽りがはっきり分けられ、真のみが現れたあの経験から、やっと次のステップへ行けるのだと考えました。五女山の土を踏んだ靴は、ここに捨てさせて戴く事で、自分も過去を捨て、新たな生命となって生きていく気持ちが生まれたのです。案内人の方がビニールで私の足を包んで下さいました。そして、アンマンに着き、すぐに靴屋さんに連れて行って下さいました。そこで、新しいスニーカーを買ったのです。私の気持ちも新しくなり、これから新しい旅が始まるのだと心がときめいたのでした。続く…。