世界伝説 第57弾

2006年5月はヨルダンからブルガリアへ行きました。初めてヨルダンに行った時、ラクダが歩いているのが似合う街並みに、時間が止まり、異次元に飛翔した様な不思議な体感で、とても楽しく感じました。ただ、マーケットで突然、苦しみを身に受け、倒れる寸前になり急いでその場を離れた事によって、いだきしん先生からの「逃げた」というお言葉を聞き、生き方を改める機会となりました。その場で倒れたらご迷惑をかけると思ってした事が、その場から逃げたという事であるという事を初めて知りました。後から、ヨルダンはパレスチナの難民を一番多く受け入れている国で、ヨルダン人よりパレスチナ人の方が多いと知り、あの時マーケットで身に受けた苦しみの理由が分かったのです。正に、いだきしん先生がおっしゃった様に、その場に居続ける事が、苦しみ、辛い状況にある人と共に生き、共に抜け出す道を創る事だとよく分かりました。

「2度と逃げない」と心に誓い、2度目のヨルダンに向かいました。アンマンの空港は、レバノンからロイヤルヨルダン航空で来た時とは違う気配でした。パスポートコントロールはとても緊張する場所でありました。ラクダが歩く様な街とは違うヨルダンの側面を見ました。大変チェックが厳しく、指紋も取り、時間もかかりました。とても緊張するパスポートコントロールでした。無事に通り、ヨルダンの街中に入りました。

ヨルダンでは、身が痛んでなりませんでした。針に刺されている様な痛みが続き、苦しみました。が「2度と逃げない」と決めてきましたので、痛みもそのまま受け止め、抜け出す道を見つける様にし過ごしました。抜け出す道は、いだきしん先生につながる事、という事はよく分かっておりますので、内面深くを感じ、先生につながる内面となると、苦しみも解かれ、痛みも引いてきました。この連続でヨルダンでは、逃げずに過ごすという事を貫きたく、乗り越えました。コンサート開催にあたり、打ち合わせを致しました。今でも何故か忘れられない場面があります。ホテルの朝食会場にて、私はとても体がしんどく、血の気が引き倒れそうな状態でした。それでも必死で頑張る気でいましたので、耐えていました。食事の最後に、日本から持参したアンドロメダエチオピアコーヒーのドリップバッグを淹れようとウェイターにカップとお湯を頼みました。そして、ドリップバッグを淹れ、頂いた時に体の中に光が灯り、全身に広がり、私は一気に元気になったのです。お腹から力が生まれ、この感覚が私がいつも「生きている」と表現する感覚なのです。この感覚がない時がとてもしんどく、力が湧いてこないので、苦しむのでした。これでアポイントメントに向かっていけるとやる気に満ち、やっと仕事をする心身となった事が嬉しくて、胸の内はとても、ときめき始めたのです。今でもあの瞬間の事をよく覚えています。何をするにも、自分の状態が内面豊かに輝いていると、とても良い巡りに恵まれ、良い結果が生まれるのです。しんどい状態で、力も湧かない状態で物事をやっている時は、良い結果が生まれません。ヨルダンではアポイントメントの前に良い状態になれた事が、本当に嬉しい事と感謝とやる気にあふれました。結果は、ヨルダンでのコンサート開催決定となりました。胸なで下ろし、とてもうれしかったです。その後も針に刺される様な痛みと苦しみが続きました。死海に行った時、暑い海辺で本当に貧血を起こしそうになり、困りました。この時、不正出血が起こっていました。血の気が引く思いでした。自分は病気なのかと不安と心配で一杯になってしまったのです。それでも「逃げない」と決めましたので、無限な世界に通ずる内面を常に取り戻し、ヨルダンでは瞬間瞬間過ごしたのです。コンサートが決まった事が、何よりの喜びです。続く…。