世界伝説 第55弾

2006年3月は韓国へ行ってきました。エチオピアの大使の奥様の一族はエチオピアの財閥です。その一人に韓国の方をご紹介頂きました。その方は、エチオピアコンサートの時に大変ご協力下さいました。楽器を積んだトラックが行方不明になった時、代替えのトラックを出して下さったり、様々な会社を立ち上げておられましたので、色々とお世話になりました。ある時、お話をしていると、韓国に行くというお話がありました。韓国に何かあるのかと尋ねた時に、仕事で行っている事と韓国には親しい友人がいるとおっしゃったので、ご紹介頂きました。韓国は、1998年5月に、いだきしん先生がKBSホールにて「高句麗-華麗なる古代」というコンサートを開催しました。私は、新羅ホテルにて私のフォトブック「出会い」のハングル語版を出版し、出版記念パーティーを開催しました。

私は、この時に向けて、ハングル語で挨拶をする為にずっとハングル語を習ってきました。最初の先生は、以前、韓国人だけのいだき講座を開催した時のお一人の方にご紹介頂いた方で、早稲田大学に留学していた若い女性でした。この先生の時は、どんなに習っても覚えられなかったのです。この先生は、ルーツが北朝鮮の様で、韓国にいらっしゃるお母様に「高句麗の王族の子孫にハングル語を教えている」と言うと、お母様が兎に角喜び「大変な任務を受け持っているのでしっかりする様に」といつも激励されていた様です。その為か、張り切ってレッスンして下さいますので、大変なるエネルギーを注いで私に教えて下さいました。が、私は不思議な位覚えられない、出来の悪い生徒でした。その先生が、大学を卒業し韓国に戻りましたので、私は次の先生を探しました。次の先生は、私とは性格が合わない感じはしました。とても大人しい方でした。前の先生は気性が激しく、はっきりものを言う方でしたので、私も気性が激しく、はっきりしていますので、とても私の事を気に入ってくれていました。新しい先生は物静かで「李」というお名前でしたので、恐らく新羅のご子孫であるとはお名前からも、感覚からも感じていました。随分やめようかと何度か考えましたが、真面目に一生懸命教えて下さっておられましたので、私はひたすら習っていこうと継続したのでした。いよいよ出版記念パーティーが近づき、韓国に行く日が近づいた日、私は突然ハングル語が話せる様になったのです。大変驚きました。その先生はずっとおっしゃっていたのです。「分からなくても、ずっと声を出して読んでいると、必ず分かる日が来るから」と。その言葉が支えでした。突然、分かる日が来たのです。そして、新羅ホテルでの出版記念パーティーの時には、私はハングル語でご挨拶をさせて戴きました。

高句麗王直系子孫である事、日本で1300年生き延びてきた事、ご年配の韓国人の男性が涙を流し聴いて下さっていました。お越し下さった方々は、政界や財界の大変地位のある方々でいらっしゃいました。その方々が涙を流し、感動して下さったのです。パーティーが終わり、何と私の最初のハングル語の先生が飛んで来ました。高麗さん、いつハングル語が出来る様になったのか、と彼女は大変驚いていました。本当に間に合って良かったと胸なで下ろしたのです。そして、コンサートはいつも大変素晴らしく、人生を変える程の事であります。日本に、いだき講座を受けに来られた韓国人の方に、必ず来てほしいと強く勧めていたので、皆様来て下さっていました。皆様、ソウルからは遠い所にお住まいでしたが、駆けつけて下さいました。とても親しく、懐かしく、家族の様な温もりを感じる韓国でのコンサートです。そして、高句麗の永遠なる輝きを見ました。

それ以来の韓国です。やはり、久しぶりに来ると、街は大変変わっている事に驚きました。同じ、新羅ホテルに泊まりましたが、新羅ホテルまでの道中の渋滞の酷さには驚きました。長い時間かけてやっとホテルに辿り着いたのです。そして、エチオピアの方からご紹介頂いた韓国人に、新羅ホテルの会議室でお会いしたのです。その方は商社マンだったようで、韓国には長い間帰ってこれず、定年となりやっと韓国に帰ってきた所でした。高句麗の事をご存知ありませんでした。韓国人で高句麗をご存知ない方がいらっしゃる事に大変驚きました。が、その方のお連れになった男性は、高句麗の事を分かっておられました。私が話す話があまりに大胆に感じた様です。が「高句麗の子孫であれば、この位大胆であってもおかしくない」とおっしゃり、本気になって聞いて下さったのです。この時私は、韓国でカフェを作る気でカフェの候補地と経営について相談したのでした。韓国にてカフェの候補地を見て回りました。以前、夢のお告げで見たのです。大学の近くで高句麗の風が吹くカフェを開いているという夢だったのです。幾つかの候補地を見ましたが、吹く風が違っていました。大変厳しいと感じましたが、お会いした韓国の方は、やる気満々で、すぐに一緒に仕事をしたいと、とても熱心に取り組んで下さったのです。新羅の城跡があった森林の中に、参鶏湯のお料理屋さんがあり、そこに連れていって頂きました。冷えた体が一変に温かくなった事をよく覚えています。どこの国に行っても、家族や共に生きる人が健康で、元気で生きられる様にお料理をしていた事に、いつも感動します。韓国のお料理にもそれを感じ、頂くと体が熱くなったり、力が出てくる事に感謝しました。お会いした韓国人は、私の活動に賛同し、すぐに「NPO高麗のメンバーにしてほしい」とおっしゃって下さいました。この韓国人とは、何と後日共に五女山に行くご縁だったのです。続く…。