世界伝説 第33弾

2003年は、タンザニアコンサートが8月に開催と決まりました。いだきしん先生は「タンザニアに行く前に、日本の聖地でコンサートを開催したい」とおっしゃいました。私は「日本の聖地は何処ですか」とお尋ねさせて戴きました。何処というお返事はなく「聖地であれば何処でも良い」とのお答えでした。神社や聖地といわれている所を調べはじめました。何処と選ぶ事は難しく感じ、まずは聖地といわれている所にお手紙を書いてみる事にしました。主旨にご賛同頂ける所でなければ、コンサートを開催する事など到底出来ません。私は、いだきしん先生の働きをご紹介させて戴き、人間の内面が取り巻く環境を作りますので、人間の内面を解放し、愛を経験するコンサートは世界の平和を実現出来ると考え、日本はじめ世界各地で開催してきた事を書かせて戴きました。そして、NPO高麗の設立主旨も表現させて戴きました。亡き父の「土地や財産は残す事はない。それらはいつか無くなるものである。無くならない精神を残せ」との遺志を受け、私は天を地に表す精神を世界に伝えていく活動をしていこうとNPO高麗を設立させて戴きました。「精神を伝え、真に平和な世界を創りたい」という気持ちを実現する為に設立致しました。日本の聖地にて、いだきしん先生がその地のエネルギーを表現される事は、日本人の精神、魂が蘇ると見えました。そのまま気持ちを書かせて戴き、幾つかの神社にお手紙を送らせて戴きました。大変失礼と感じながらも、CDやDVDを一緒に送らせて戴き「ご興味があってコンサートを開催させて頂けるならば、お会い頂きたい」と書かせて戴きました。全く関心がなければ、お会いするまでもないとは当然の事なのですが、過去は、お会いはしても、何故お会いしたかが分からない様なアポイントメントが多かったのです。いだきしん先生の写真を使わせて戴き、コンサートのパンフレットをいつも作っていました。写真であっても、いだきしん先生の存在が現れていると感じる経験がほとんどでした。いだきしん先生は、私から見ると、運命もなく、何の濁りも、澱みも何もない御方です。私は初めてお会いした時、何も見えないので、透明人間の様だと感じていたのです。そして、何もないので自分の内面が映る鏡の様だと感じたのです。実際、いだきしん先生にお会いすると、自分の生きている状態がそのまま表れてしまうのです。隠しても隠しようがない、抑えても抑えようがないのです。鏡を前にしたら、全てが映し出されていくのだという事に気づきました。そして、解放されていくのです。何という事でしょうか。夢を見ている位な気持ちでした。私は、いだきしん先生にお会いさせて戴き、自分の内面が映し出され、生きる上で余計なものや、真の人生を生きる上で阻むものが解放されていく事が大いなる喜びでした。先生にお会いする事は楽しみでなりませんでした。よく友人に語っていました。私は幼い頃、家の近くの「山」と呼んでいた林へ行って、スミレの花を見つける事が大好きでした。スミレの花を一つ見つけては驚喜し、また一つ見つけては驚喜し、今日はいくつ見つけられるかといつも「山」に入っていったのでした。何故あれ程嬉しかったのか分かりません。とても嬉しかった事が生命の内に輝く光とし残っています。いだきしん先生にお会いし、真の自分に気づく時、この時と同じ喜びが広がりました。驚喜するのです。本当の自分に出会う事は、これ程までに嬉しい事かと、今まで経験した事のない喜びを人に伝えたくてたまりませんでした。私は、誰にでもお会いした方や、自分の今まで出会った友人、知人には、この喜びを話しました。とても興味を持つ人と、それっきり連絡がなくなった人といます。何故これ程までにはっきりと分かれていくのかと驚きでした。生き方が違うと縁がなくなるので離れていくのだという事は、次第に分かってきました。人間は、内的環境が外的環境を作ります。自分の中にあるもので人に出会い、関係性が生まれ、また自分の中にあるもので色々な巡りに遭遇し、結果となり、環境となっていくのです。起こる巡りは、自分の中に原因がある事がよく分かります。故に内面が変わる事は、取り巻く環境を変えていけるのです。イランのハタミ大統領が「戦争が繰り返され問題、課題が山積する世界の状況を何によって変えていけるか。外的環境からは変えられない。人間の内面が変わる事なくして、外的環境は変えられない。」と演説されていた事は、真であると自分も人生をもって経験しています。いだきしん先生の存在にふれた時、人はあるがままが現れるという事をコンサートのパンフレットを人様に見せる度に経験してきました。何も話していないのに激怒する人もいました。大変驚きました。沢山の方にお知らせしたく、私は、東京にある有名な大きな企業から様々な企業の社長様にコンサートのご案内を書いたり、いだき講座のご案内をさせて戴きました。今までは、とても良い事をしている企業だと思っていた会社に行った時に、パンフレットを見せるなり「帰れ」と言われた事には驚きました。表向きは良く見えても、中身は違うのだという事がよく分かる経験でした。大変残念でしたが、作り物はいずれ崩壊するという事が見える様に分かりました。沢山この様な経験をしてきましたので、アポイントメントは頂けても、お会いした時に激怒されるのもしんどいという気持ちがありましたので、先にこちらの活動履歴やCDを聴いて頂けたらありがたいと感じたのです。そして、失礼ながら「ご関心がなければ、会わないでもいいです」という気持ちをお電話した時には、正直にお伝えしてきました。

ある地域の神社や大社とのアポイントメントが決まりました。何度も主旨をお話させて戴き、お訪ねしてもいいかという事を確認させて戴きました。いだきしん先生をお連れするのです。遥々東京から出掛け、お会いしたら話が成立しないという事は、あまりに申し訳ない事と考えていました。アポイントメントが決まった所には、再びお手紙を書き、訪問の主旨を改めてお伝えし、私は入念に準備をしました。そして、東京を発つ日に「向かいます」という事までお知らせをし、まず大阪まで行き、大阪で一泊しました。そして、アポイントメントの当日、大阪から「今から向かいます」とお電話をさせて戴き、アポイントメントの確認を取らせて戴きました。ある所で「間もなく到着できます」とお電話させて戴き「お待ちしています」というお答えがありましたので、喜び行かせて戴きました。ところが、通されたお部屋に入っても代表の宮司さんはお見えにならなかったのです。神社の方が、宮司はいないと伝えに来ました。私は「昨日も、今日も、先程も確認をとってここに来ました。いらっしゃらない筈はないです。」と訴えました。その方はとても困った表情をしておられたので、その方は間に入って苦しいのだという事はすぐに分かりました。そのまま私も表現させて戴き「お約束したので是非、ここにいらして頂きたい」と何度も申し上げました。神社の方は、宮司は「会わない」と言っているという事を正直に伝えて下さいました。その時点で、いだきしん先生は部屋を出てゆかれました。私は、このまま帰る訳にはいきませんでした。ずっと入念に準備をしてきたのです。会わないといって帰る訳にはいきませんでしたので「宮司さんが来られるまでここにいます」と申し上げ、ずっとお待ちしていました。しばらくすると、宮司さんが現れました。会うなりひどく怒っているのです。何もしていないのに、何故こんなに怒るのか理解が出来ませんでしたが、過去の経験から、いだきしん先生が来られたので、その方のあるがままや本性が現れたのだという事はすぐに分かりました。申し上げる事は、はっきと申し上げましたが、宮司さんは激怒し、部屋を出てゆかれたのです。私は申し上げるべきは全て申し上げたので、やっと部屋を出て引き上げる事に致しました。正直、ここまで来てこの様な事になってしまったと唖然としました。が、次へ向かわねばいけません。次のアポイントメントの熊野本宮大社へ向かいました。やはり、近くまで行った時に「間もなく伺います」とお電話させて戴き、同じに確認を取りながら向かいました。熊野本宮大社では、すぐに宮司さんが出てきて下さいました。私は、ただそれだけが嬉しくて、ありがたくて、ほっとしました。そして、私の手紙をお持ちになり「お手紙の内容に賛同しました」とおっしゃって下さったのです。そして、あっという間に「熊野本宮大社 大斎原」でいだきしん先生のコンサートを開催する事が決まったのです。神を見る思いでした。胸のつかえが下りて、未来が拓かれました。タンザニアコンサート前は、日本の聖地「熊野本宮大社 大斎原」でのコンサートを開催させて戴く事になりました。続く…。