世界伝説 第29弾

2002年は再び、イランへ向かいました。この時は、イラン各地を撮影の旅に回りました。何と新しい文化担当の方が休暇を取り、共にイランを旅したいと申し出があったのです。私達は喜び、共に旅する事を承諾致しました。テヘランでは、日本語を話す旅行社の方が私達の仲間の様になっていました。音楽フェスティバルを担当する政府の部署の委員長にお会いした時、その場では承諾をして下さったのですが、後から話が覆っていたのです。通訳が間違っていたと言われてしまったのです。彼は大変怒り、自分が間違っていない事を証明する事を話し始めました。この様な経緯があり、彼はNPO高麗のスタッフの様に自然となったのでした。通訳をして下さりながら、私達の活動をイランの方に一生懸命伝えて下さっていました。彼と文化担当のご夫妻と旅が始まりました。イスラム教の国ですので、常にお祈りをする時間が必要でした。時に集合時間に遅れる事がありました。何度か続いた時、私は文化担当の方に、いだきしん先生は人や土地の事を引き受け、身に受け、変えていく働きがあります事をお話し、撮影といっても、その土地の持つ本来の力や輝きを瞬間で映像に捉える訳ですので、真剣勝負である事、光の加減でどんどん映像は移り変わっていく事等、自分が表現出来る限りの表現をし、いだきしん先生の撮影がいかに大事であるかという事をお伝えさせて戴きました。故に、集合時間には遅れないでほしい事を伝えました。彼と奥様は、すぐに謝り「自分達が悪い事をしていたら許して下さい」と本当に心からお詫びの気持ちを伝えてきました。私は、自分の方がこの様な事を言った事が申し訳なかった様な気持ちになりましたが、伝わった事をありがたいと感じました。彼らはお祈りをするので、いつも時間に遅れるのでした。その後は時間通りに集合し、撮影も順調に進んでいきました。文化担当ご夫妻は、とても気を遣い、昼食をとってしばらくすると、3時のおやつにイランの郷土菓子やフルーツ等を沢山差し入れて下さいます。私達は朝食をとり、昼食をとり、おやつを頂き、夕食をとり…と普段は2食しか食べないのに、食べ尽くしで大変お腹が一杯となってしまいました。体も重くなってきました。撮影以外はずっと車に乗り続けています。

初めてペルセポリスに行った時、私は強い衝撃を受け、そのままお腹を壊し、体がだるくなり、とても体調が悪くなりました。神と出会ったのだと分かりました。神に出会う衝撃は、今までの自分の体を超えると実感します。いだきしん先生にお会いしてから、いつも自分がより大きくなる時には体が壊れます。この器では小さくて成長出来ない事を知ります。体が治ると、前よりも強くなっています。そして、ダイナミックに動ける様になっているのです。ペルセポリスにて強い衝撃を受け、その後ずっと熱っぽくて、とても困った事を覚えています。

その後、イスファハーンに行った時は熱くて熱くてたまらない状態だったのです。テヘランに帰り、日本に帰る飛行機に乗る為に空港に向かう時、喉の渇きと熱さは尋常ではありませんでした。ところが、ミネラルウォーターをどうしても買う事が出来ない状況が続き、喉が渇いても水分を補給する事が出来ず、大変苦しい状態となりました。やっと飛行機に乗った時、ミネラルウォーターを飲めた事は、砂漠に水が染み入る様に生命沁みたのです。熱を測ったら39度ありました。熱いのは熱があったからと気づきました。熱中症になっていたのだとも気づきました。旅の途中は無我夢中です。体が熱くても、だるくても、しんどくても歩き続ける事や撮影のお供をし続ける事、そして私は詩を書く事に熱中しますので、具合が悪いという事を気にも留めないで動き続けるのでした。その様な経験があり、イラン各地を回る旅は何が起こり、またどの様に体が変化するかわかりませんので、全てを受け容れ、神様と共にという気持ちで動いています。カスピ海の海沿いに立つホテルに泊まった時は、とても気持ちの悪い臭いと空気に苦しみました。私は、生まれた時から目に見えない世界や霊魂が見えますので、私には沢山の霊魂が見え、とても辛い夜を過ごしました。あの時の海の波の音は忘れる事は出来ません。浮かばれない霊魂が沢山出てきて、救済を求めている事を生命で感じました。この地では、いだきしん先生のコンサートが本当に必要なのだと、よく分かりました。何があってもペルセポリスコンサートは実現しなければいけない事は、イラン各地を歩いていると、突然苦しさに襲われ、霊魂が一杯見え、抜け出し口のない空気に包まれるので、抜け出し口が必要である事を生命をもって分かりましたので、ひたすらペルセポリスコンサート実現に向かうよりないと答えは決まっています。続く…。