世界伝説 第117弾

グルジアからアゼルバイジャンへ行く深夜、ホテルで身支度をしていると、スタッフから電話が入りました。アゼルバイジャンのコンサート会場が使えなくなったという知らせです。またもや私は驚き、愕然としてしまいました。心配で心配でならなくなりました。が、この度もグルジアの時と同様に私が心配してもどうにかなる事ではないのです。この度も大統領令という事でした。国家行事が行われる事に関わり使用できなくなったという事です。何故、この様な巡りになるのかと考えても答えはありません。全ては大いなる働きに委ねていこうと心を落ち着かせ、大いなる存在とつながる様に努めました。まずはアゼルバイジャンに行くよりないとホテルを出、アゼルバイジャンへと向かったのです。バクの空港に着き、迎えに来てくれていた旅行会社の社長さんは、すぐにコンサート会場が決まった事を知らせてくれました。彼は大統領の甥御さんです。新しい会場は、大統領宮殿内にある野外劇場でした。私は、とても嬉しくなりました。この度もグルジアの時と同じに、当初予定していた会場よりも、より「高句麗伝説」が行い易い会場へと変更となったのです。やはり大いなる働きかけによるものと受け止め、心配していた自分が恥ずかしくなりました。

バクの以前泊まったホテルは快適に過ごせたので本番も同じホテルを希望しましたが、ロシアのプーチン大統領が突然いらっしゃる事になり貸し切りとなったようです。私は予約してあったのに、こちらも突然変更される事に腹が立ちました。バクに着いてからホテルが空くまでの何日間かを、どこのホテルに泊まろうかとホテル探しが始まりました。私は神経質ですので、ホテルが快適でないと、とても神経に障り疲労してしまいます。何件回っても、ここでなら休めるというホテルはなく、私は段々気が滅入り精神状態が悪くなっていきました。最後に、いだきしん先生が決められたホテルは、私にとっては不快なホテルでした。かといって他にいいホテルはありませんでしたので、そこに泊まる事にしました。とても窮屈で息が思いっきり出来ない様な苦しい空間でした。こういう状態を何とか抜け出したいといつも考えます。ホテルや環境に左右されないで自分のペースで物事をやっていける様になりたいといつも望んでいます。眠れぬ夜を過ごし、翌日はコーカサスの方に行く予定となりました。いつもコンサート本番は、本番までに何かあると大変ご迷惑がかかりますので、色々な所に観光に行く事もなく、必要以外の事で出掛ける事もなく万全にと備えています。この時も当然そうであるかと考えていましたが、いだきしん先生はコーカサスの方に行こうとおっしゃったのです。バクから何時間も車に乗る場所ですので、その間何かあったら大変だと私は心配していました。かといってホテルにいる事は耐えられず、外には出ていきたいと願っていました。車に乗り、バクの街を出る所で車から煙が出てきました。この車に乗って行ったら何が起こるか分からないと私は大変不安になりました。これでコーカサス行きは中止になるかと考えていましたが、先生は行く事しかお考えでない様でした。バクから新しい車を手配して頂き、待つことになったのです。丁度高原の中にカフェがある所でした。ここでなら楽しく待てると感じ、高原の中のカフェに入りました。大きなカフェではなく、お客様が一つの小屋で過ごすようになっているのです。とても素敵だと感じ、心ときめき一つの小屋に入りコーヒーを頂きました。周りが林なので私には居心地が良く、車を待つことも苦なく過ごす事が出来ました。1時間以上経ち、バクから車が到着しました。新しい車に乗り換え、コーカサスへと出発しました。また、新しい車に乗り換え、ある所でドライバーが車を止め、外に出ていきました。待っている時に車が動き出したのには驚きました。私は急いでサイドブレーキをかけ、車が止まってくれたのでほっとしました。この様な事も私にとってみると不安を感じる事であります。再びコーカサスへ行く事が不安になってしまったのでした。途中ランチにて高原の中のレストランに入りました。ケバブがとても美味しいレストランでした。自然の中でお野菜もとても新鮮で美味しく、お肉も美味しかった事が忘れられません。私はお肉が苦手で食べられないのですが、この時は美味しく頂く事が出来たのです。美味しいものを頂き、更に元気になりコーカサスへの道中は快適となってきました。コーカサスが近づいた頃、魂震える光景に出会いました。川の畔の光景です。川の畔に天に真っ直ぐそそり立つ木が立っています。

風が吹くと木の葉が銀色に輝くのです。この光景は、マケドニアのビトラで見た光景と同じです。私は、川の畔に木が真っ直ぐそそり立ち、風が吹くと木の葉が銀色に輝く光景を見ると魂が震えてならないのです。涙まで込み上げてくるのです。この時は「愛し君の香り」がしました。神聖なる御方の香りです。生まれる詩は「愛し君の香りを追いかけ この地に辿り着く」という詩でした。この聖なる香りはイエス・キリストよりいらっしゃらないと私は感じていました。イエス・キリストがここまで来たのだろうかと想いを馳せました。美しい香りです。そして、私も追いかけていきたい香りです。その後、教会へ連れていって頂きました。何故か私にはここに教会がある事がとても合点がいったのです。イエス・キリストを慕い、この地に来た方が建てたのではないかとふと感じたのです。小さな教会でしたが、イエス・キリストにお会いできる様な気持ちで教会の中に入りお祈りを捧げました。とても気持ちがいい教会でした。

そして、博物館に連れていって頂きました。私は博物館が大好きです。この時もじっくりと展示されているものを見て、そのエネルギーや香りから昔どの様な状態で人々が生きていたのかを分かろうとしました。ふと見えるものがある時、古代に生きた人の生き方に触れ、とても嬉しくなるのです。

一枚の絵には雄と雌の鹿が2頭並ぶ姿が描かれていました。ここにも雄と雌の鹿が並ぶ絵があると私は驚喜しました。マケドニアのビトラの遺跡にも雄と雌の鹿が並ぶ姿のモザイクが施されていました。その時受けた説明と全く同じ説明をここでも受けたのです。古代国家においては、天上界を地上界に実現する事が国創りの精神であったという説明です。雄と雌の鹿が2頭並ぶ姿は、地上の美のシンボルとここでもお聞き致しました。私は、マケドニアのビトラでもお話した様に、ここでも自分の名刺を見せ、「高麗」の「麗」という字は「鹿」という文字が入っている事、先祖は天を地に実現する事が国家建設の精神であった事をお話しました。魂の導きでここに導かれたのだと生命の内で合点がいきました。コンサート前、いだきしん先生が遠くに行く事を望まれたという事は大いなる働きかけであると分かり、心から感謝しました。最初に心配した自分が本当に愚かであったと恥じました。この地に来られて本当によかったです。コーカサスの美しい日差し、銀色に輝く木々、魂震える程懐かしい光景、愛し君の香りは忘れる事は出来ません。コーカサスの山々の向こうに私を待っている人がいると感じたのです。次はコーカサスの山の向こうに行ってみたいと望みました。

アゼルバイジャンにて、ふとアゼルバイジャンの人に尋ねました。イラン人と同じと聞いていましたが、その更にルーツはと尋ねたのです。バイカル湖発祥の騎馬民族です、との答えが返ってきました。私は思わず叫び声を上げ驚きました。バイカル湖発祥の騎馬民族であれば高句麗のルーツと同じと驚喜したのです。いだきしん先生にお会いする前からバイカル湖に行ってみたくて、よく調べていたのでした。いつか行ってみたい気持ちで生きてきました。グルジアではフェニキアがルーツと聞きました。アゼルバイジャンではバイカル湖発祥の騎馬民族がルーツであると聞き、私は高句麗のルーツを辿る為にグルジア、アゼルバイジャンに導かれたのだと分かり、自分で考えて作った道ではないのに、この様に導かれる人生の不思議さにとても驚き、感動しました。その時、ふとこれで自分のルーツを辿る旅は終わると感じたのです。「高句麗伝説」が完成した時、人類発祥の地エチオピアの人類最古の人骨が発掘された地まで辿り着き、「人間 生命の源はひとつ 愛」というメッセージが生まれ、「高句麗伝説」が完成し、世界に発信する様になったのです。「高句麗伝説」を開催させて戴く国々も高句麗に縁がある地と自分では感じていました。そして、フェニキアのルーツと聞いたグルジア、バイカル湖発祥の騎馬民族をルーツにもつアゼルバイジャンへと導かれ、これ以上源を辿る事はなくなると感じたのです。真にそうでありました。アゼルバイジャンをもって導かれる流れは終わりました。いだきしん先生はグルジアの「高句麗伝説」を「新しい歴史のプレゼント」とおっしゃいました。アゼルバイジャンの「高句麗伝説」は「新しい時間で生きる人間の時代」とおっしゃいました。その意味を分かりたく、アゼルバイジャンにて「高句麗伝説」コンサートの本番に臨みました。

風が吹く街バクでの開催です。野外劇場でしたので舞台は風が強く吹き、飛ばされそうでした。髪飾りは飛んでしまうのではないかと案じ、しっかりとつけて頂きましたが、なお心配な位風が吹きました。途中髪飾りを押さえながら詩を詠んだ事をよく覚えています。最初は、名を呼ぶ人や、ピーピーという指笛の音が聞こえていましたが、最後はお客様がかなりいなくなっていました。驚きました。「高句麗伝説」が好きだと聞いたアゼルバイジャンであるのに、何故最後まで多くの人は聞けなかったのかとがっかりもしました。翌日、いだきしん先生は大統領の甥御さんである私達の「高句麗伝説」コンサートを開催した人におっしゃっていました。あなたが大統領になる事があれば、コンサートを途中で帰る様な感覚の人と一緒にやる事はやめた方がいいと、はっきりとおっしゃっていました。人間の本質的な事を分からない人はこれからを生きていく時代は創っていけないとは私自身もよく分かっています。コンサートを開催するという事は、その人がどの様に生きているかがそのまま現れます。先生の表現が分からない人は人間である事を失い、物やお金にとらわれてしまったり、何かに動かされてしまっている方であるという事は私にはよく見えるのです。その人の生きている状態がそのまま現れる事もずっと経験してきましたので、分かる事であります。人間である事、愛を経験したなら人間は自ずと自分がどう生きていくのかに目覚めると私は考えています。アゼルバイジャンの「高句麗伝説」コンサートが「新しい時間で生きる人間の時代」とおっしゃった意味は、翌年2011年3月11日東北にて大地震が起こったことにより、よく分かったのです。私がアゼルバイジャンにて、新しい時間とはどの様な意味ですかと尋ねた時に、いだきしん先生は、新しい時間は自然とひとつに生きる時間とおっしゃったのです。自然の猛威に人間は太刀打ち出来ないとは、エチオピアの森の中でも甚く経験した事でありますが、地震と津波により町は破壊され、沢山の方がお亡くなりになった惨状は、誰もが、変わらなければ生きていけない事を生命をもってわかる事でした。いつも、いだきしん先生のコンサートで表現される時は最初で最後と私は、皆様に申し上げてきました。表現されたメッセージを経験したなら、その事を分かり生きる事なくして生き延びる事はないという事をずっと経験しています。新しい時間で生きる人間の時代と表現された後に大地震が起こり、真に自然とひとつでなければ生きられない事を身をもって分かったのです。いだきしん先生はいつも人間が生きていける様にと最も必要な事をコンサートメッセージにて表現して下さり、メッセージの通りの経験を演奏にてさせて戴いています。正に生き延びる経験となっています。アゼルバイジャンでの何かが残っていく感覚は、人間は大きな課題を乗り越えて人間となり生き、自然の生命とひとつで生きる事なくして未来はないという事であったという事が、東日本大震災が起こった事により身に沁み分かる事となったのです。続く…。