イラン、テヘランでのイラン革命後初の「高句麗伝説」はバフダットホールで開催致しました。ロビーには私の心模様作品が展示されました。リハーサルの時に楽屋にいると外は雷が鳴り、雨が降っていると知りました。砂漠のテヘランには雨は降る事はないとイラン人が言っていました。砂漠に雨が降ったと大騒ぎでした。いつも海外で「高句麗伝説」を開催する時、リハーサルの時に雷雨となるのです。野外で開催する時は、皆で急いで楽器をしまい、また雨が止むと楽器を出してと重労働になります。まさか砂漠のテヘランで雷雨になるとは驚きでした。「高句麗伝説」では何が働き動くのかと驚く事が続きます。日本で開催する時も普段はあり得ない天候になったり、出来事が起こったりします。私の講演会の時もその様な事が多いのです。私はいつも国創りの印と言ってきました。雷が鳴ると国創りの印が現れたと感じるのです。どの様な天候でも、どの様なアクシデントが起こっても、必ず決めた催しは開催出来る様にと知恵を絞りいつも何とか行きつき無事に開催してきたのです。国創りの動きはどの様な事があってもやりきるという事を覚える訓練といつも受け止め動いてきました。海外でリハーサルの時に雷鳴轟き、豪雨となると、いだきしん先生はお浄めとおっしゃっていました。お浄めをして頂き「高句麗伝説」をさせて戴けるとは真に光栄な事といつも深く感謝し、舞台に出させて戴いています。テヘランでもお浄めをして頂き、本番に臨めます事を心から感謝しました。イスラムの法律により女性はヘジャブを被るか頭をスカーフで隠すという決まりがありましたので、私は日本で頭に被るものを作ってきました。もし、検閲で通らなかったらスカーフを被るつもりでいました。自分で作った衣装と同じ生地でヘア飾りも用意したのです。検閲は無事に通ったのです。胸なでおろし、自分が日本で用意したもので舞台に出られる事になりました。こんな事がとても嬉しい事なのです。イラン各地を撮影の為に歩いた時にいつも大地からの声を詩に書いてきました。ゾロアスター水の都では、水に映る自分の姿が炎に見えました。そして「女が動く時、世界は変わる」とのメッセージが聞こえ、魂震えたのです。とても静かで内面深く、深遠なる世界に導かれる経験でした。水に映る自分の姿が炎であった事も驚きでした。以前、聴診器で自分の心臓や頭の音を聞いた事があります。頼まれたら人の音も聞いた事があります。人の運命を調べる事をしていますので、心臓や頭の音は正に生き方そのものであるという当たり前の事に気づき、笑ったものでした。心臓が生きているままに生きているのですから、その人の生き方が音になって聞こえてくるのです。私は自分の頭の音を聞いた時に炎が燃えている様な音がしてすごいと驚いた事を思い出したのです。ゾロアスター水の都での経験は、忘れられない経験でした。

世界伝説 第113弾
イラン各地での大地の声を詩に詠ませて戴く時、とても内面深くを感じるのです。初めてイランでいだきしん先生のコンサートが開催出来た時、母の胎内にいる時の事をはっきりと思い出し、涙が止まらなかった事を詩に表しました。何度詠んでもあの時の衝撃が蘇ります。イランでは内面深くを辿り、深遠なる世界を感じる事が出来る事がとてもありがたい事であります。この地で生きる方々がその様に生きておられるのだといつも感じています。
イラン革命後、イスラム教の国家になってから音楽は禁止されていますが、テヘランの街を歩いていると私には音楽が聞こえてくるのです。木の葉が揺れる音が音楽に聞こえ、とても美しい音楽に心を澄ますのです。また、イラン革命前は、街のあらゆる所で詩を詠む人がいたと聞きました。詩を詠む人に音楽を奏でる人がいるとも聞きました。ヨルダンに行った時に、砂漠の文化は詩を詠む人の所に人が集い、音楽を奏でる人がいて、コーヒーを挽く音がすると聞いた事を思い出します。イランを撮影の旅で回っている時、その当時の光景に出会いました。橋の下でしたが、詩を詠む男の人の周りに何人かの男の人が集まり、詩を聞いていたのです。ペルシャ絨毯の模様にも豊かな文化を感じます。美しい自然を感じるペルシャ絨毯の模様にはいつも魂震える程惹かれてなりません。内面の豊かさを感じるイランの地での「高句麗伝説」を無事に開催出来ました事は次へ向かっていけると大いなる希望を抱きました。この時初めて、私は「高句麗の父」という詩を詠む時に、いだきしん先生の高麗笛と一緒に詠ませて戴いたのです。以前、夢で見たのです。いだきしん先生が高麗笛を吹かれる時に「高句麗の父」の詩を詠めれば、何かが大きく変わっていくという夢でした。私はよく夢のお告げと表現しているのですが、必ず未来に実現してきたのです。この時、初めて夢に見た通りの光景が実現出来ました。きっと未来は歴史の真実が明かされ、世界は変わると見えました。若光王様の詩を詠んだ時に、詩の内容は国が滅び、国を離れ、荒波を乗り越え日本に向かう時に、同胞が海に沈んでいった詩であっても、いだきしん先生の音楽に合わせて子供達が手拍子をしていた事がとても心に残っています。いだきしん先生の音楽はどんな時も生きる希望であり、生命のリズムである事を子供達の手拍子から分かりました。子供達の手拍子でイランの「高句麗伝説」を終える事を出来ました事は未来への希望と感じ、とてもありがたい事でありました。人間は内面が外的環境を作ります。私の内面がエチオピアコンサートにて男女の性差の境を超える事が出来たので、法律で禁止されているイランで、女性である私が舞台に立つ「高句麗伝説」が開催実現出来たのです。内面が変わると法律をも覆ったこの経験は大きな希望です。常々、いただきしん先生は、制度や法律からは変えられなくても、内面が変われば、そして人間の生き方が変われば、制度や法律、社会は変わらざるを得なくなるとお聞きしていました事をイランにて経験出来ました事に心より感謝しています。常に内面を変える事に尽くしていけば、取り巻く環境は変わっていくという事が経験出来たかけがえのない経験でした。続く…。