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Q:いだきしん(先生)さんのコンサートとはどんなコンサートなのでしょうか。

いだきしん先生が「人間とは何か」をずっと探求され続け、言葉では言い尽くせない、表現し尽くせない、もしくは通じ合えない限界を見て、ピアノの即興演奏がはじまりました。いだきしん先生は、ずっと「愛」を探求してこられたのですが、「愛」は誰でも求めている事で、愛という言葉は世の中でも多くの人が表現する大切な言葉ではありますが、言葉は知っていてもどういうことかということを生命そのものが経験できないと、本当の意味で幸せにもなれないし、世界も良くならないという事を甚く感じています。先生は、その一番大事な「愛」という言葉でさえも通じ合えない限界を見て、ピアノの即興ということで演奏されます。コンサートで人間とし、一番大事な「愛」を経験し、幸せに生きられる良い社会を創るという事を目的にコンサートを開催しています。

Q:即興演奏はどういうことなのでしょうか。

「即興」は、いだきしん先生が見つけられたことなので私が代わりには言えないのですが、先生にお会いした当初、「‘今’の中に永遠がある」というお言葉をお聞きしていました。最初のコンサートの頃、開演前に「今、この瞬間瞬間を即興演奏します」というアナウンスが流れていたのです。「今、今の瞬間瞬間」ということが何ゆえに大事なのかということをずっと考えながら即興演奏をお聴きしていました。「今」ということを分かるということは、「人間とは何か」ということが分かるということをお聴きしていくうちに経験するようになりました。「今」というのは過去を引きずっていない状態での「今」という事で、時間もない「瞬間」。はじまりも終わりもない、という・・・「永遠」がわかるという事を経験することができました。

いだきしん先生にお会いした当初、「何が分かりたいの?」と訊かれ、「本当のことと愛、永遠がわかりたい」とお答えしました。すると先生から「今の中に永遠がある」というお答えがありました。確かにはじめも終わりもない、時間を超えた「今」という、この‘今’をわかれば人間なぜ生まれ、どう生き、死んでどうなるか・・・ということが分かっていけるのだということを自分は即興演奏をお聴きすることで経験できました。私自身がなぜ即興なのかということはお答えできませんが、即興演奏を聴いた経験としては体得することでき、生きる意味を分かる経験となりました。

Q:はじめていだきしん(先生)さんの音を聴いた時、どんな印象でしたか

もう、本当に天地ひっくり返ったというぐらい、何事が起ったのかという身体の衝撃がすごかったのです。本当に天地がひっくり返った状態で、こっちが「上」とかこっちが「下」とか誰が決めたのでしょう、と。この世の「これはこういうものだ」というものは一体誰が決めたのだろう?というぐらいにパニックになって、音が心臓に爆弾でも落とされたぐらい、ドカーンと響いたのです。あの瞬間、何が起こったのか・・・という、天変地異というのか、それほどの衝撃を受けました。

Q:世界中で開催され、「平和のコンサート」とうたわれていますが、開催・参加することで平和になっていくということはどういうことなのでしょうか。

演奏されるいだきしん先生ご本人が、ある番組のインタビューにお応えする中で「人間は争いによって解決してきたことより知らない。歴史が争いの繰り返しだったので、どんなに平和を願っても生命の中には争ってしまうものがある」ということをおっしゃっていました。

私の表現では「運命の因子」という表現になるのですが、その事が取り除かれて生命で愛と平和を経験するということ、平和を経験しないと平和をつくっていけないから、ということをいだきしん先生がおっしゃって演奏してくださいまして、「平和」を経験しました。ですので平和を創っていけると今見出していますことと、また、私の経験の中では、人間は内的環境が外的環境を作りますので、過去から受け継いだ悲しみや恨みや憎しみ・・・そうした負のエネルギーになっていくものがあると、取り巻く環境は結局それを繰り返す環境になっていきます。ところがいだきしん先生のコンサートでは、内面を解放して頂くという経験をします。内面が解放されて愛に満ちてくると、おのずと取り巻く環境は愛が実現する環境と変わっていきます。ひとりひとりが内に、内面、愛を経験することで、平和な世界はつくられる、と自分ははっきりと見えるものがあって開催させて戴いています。

Q:海外でのコンサート、海外で言葉が通じない中で、どんな反応がありますか。

海外では言葉が通じない分だけ、人は生命のエネルギーやお顔の表情や瞳の表情を見ているといつも感じることです。いだきしん先生が演奏されるお姿を見、まして音を出したら多くの方からは、「神様のメッセージ」という反応が多いのです。

とても印象的だったのが、イランでのコンサートでのことでした。コンサートの準備でお掃除をしていた方たちが、先生がリハーサルで音を出した瞬間、皆さんサッとお仕事を止めて目をつむってお祈りを始めたのです。海外で先生の音を聴いた方からは、「神様のメッセージ」といった表現や「内面に神を見る」「誰にもわかってもらえなかった悲しみが受け容れられてなくなっていく」ということもお聞きしています。特に、レバノンでは戦争で身内を殺されたというようなご経験をお持ちの方もいらっしゃいます。そのレバノンで開催されたコンサートの時のことでしたが、誰にも言えない苦しみや悲しみをずっと抱え込んで生きてきた方が「本当に受け容れられて解放された」と涙ながらに語られるお姿にこちらも一緒に涙し感動いたしますが、話すとキリがないくらい、海外での反応は「人生変わる」というくらい大変なる衝撃を受ける反応ということをいつも感じています。

Q:コロナや戦争や経済不安…等、何が起こるかわからないという社会状況の中でコンサートの開催は、どんな意味があるのでしょうか。

いだきしん先生は、経済が破綻して今まで日本人が経験したことがないような経済状況になってしまう・・・、その事をいつも懸念していらっしゃいます。そのような中でも人間、生きていくのに必要なのは生きていく知恵や生きる力と考えます。いだきしん先生は、経済が大変な状況にある時は、内面豊かで多くの知恵をもって皆で助け合う、そういうことが何より大事になってくるということを常々おっしゃっています。自分もそうなのですが、まわりが厳しくなると不安や恐怖まで感じ、閉じこもるような身動きできないような状況になるということも何度も経験しています。そんな時に先生のコンサートを経験すると、内面が自由になり、無限な世界に通ずる内面を経験するのです。すると、何をも乗り越えていく力と気概、そして知恵がたくさん湧いてきて「これがあれば生きていける」という強い自信と勇気も生まれてくるのです。

また、よくコンサートのお誘いの時に申し上げてきた表現ですが、氷河時代や火山の爆発、地震があったり・・・と今までも大変な思いで生き延びてきたのが人間です。その人間が生き延びてきた知恵や叡智、それらが誰の生命にも受け継がれていると感じるのです。いだきしん先生の表現は「生命からのメッセージ」、と。太古からのどのような時代がきても生き延びてきた、太古からのメッセージが自分の生命で分かるとか、聴こえてくる・・・そういうコンサートなのですとお勧めしてきました。こういう厳しい時代であればあるだけ、精神が豊かであることや、内面豊かということがなかったら生き延びる道を創り出せませんし、新しい事も創っていけないということを甚く感じます。生きる上で肉体には食べ物が必要なように精神にもエネルギーが必要と感じます。精神が豊かですと、とても創造的に生きていけるようになりますので、生き延びる道を創っていけるということを経験しています。

Q:なぜ、盛岡、仙台、東京、京都、滋賀等、各地でコンサートをしているのでしょうか。

いだきしん先生は、人や土地、世界中の生きている方々の状態とひとつ、とご本人がおっしゃいます。人の生きてる状態と同じになるということ。ですからコンサート当日、ご参加されるお客様の状態、全部わかるとおっしゃいます。以前、ルーマニアでコンサートを開催した時の記者会見で「あなたは、何人まで受け容れられますか?」というご質問がありました。先生は「何人でも。たとえここに世界中の人がいたとしても全部受け容れられる」という表現をなさいました。先生は、その土地の歴史や土地のエネルギーというのも生命ひとつになってわかる方です。人間が生きる上で障害になったり、マイナスになっていくようなエネルギーは変え、表現して解放、ということができる方なのです。ですのでコンサートの前は、歩いていて「この土地は重たいな」とか、黒いエネルギーを感じたり・・・という事が私はよくあるのですが、コンサートを経験した後は、本当に軽くなって光となっているということを毎回経験しています。

はじめて東京以外でコンサートを開催したのは原爆投下された広島でした。私は見えないものが見え、運命が見える人間ですので、広島の街はもう足が痛くて本当に歩けなくなってしまうほどでした。爆心地に行った時には全く歩けなくなってしまい、高熱が出て足が腫れあがるという大変苦しい状態でコンサートのチケット販売をしていたのですが、コンサートの後は、爆心地でさえも軽くなっていて歩けるようになっていたのです。それから1年後、広島でお世話になった方からハガキが届きました。「被爆以来、ずっと芽が出なかった木から今年は芽が出ました。きっとコンサートで土地が解放されたからですね」と大変嬉しいお便りを頂いたのです。そのことを証明するものはないのですが、そう感じておられる方がいらっしゃるということはありがたいことです。私はそういう事を生命で感じるのですが、コンサートの前と後ではまるで違います。それまで苦しい状態で生きてきた方が、各地で開催して土地が明るく軽くなると、それまでの苦しかった状態から楽になりますので、生きる人は凄く助かると考えています。ですので、なるべく色々なところで数多く出来ましたら人が生きやすくなると考えて開催しています。

Q:コンサートを重ねて開催していくということには、どんな意味があるのでしょうか。

例えば京都ですと、重く、歴史があるということは、色々な過去の歴史が埋もれたままにあったり隠されたり色々なことがあると思います。普通それを「闇」と言ったり「闇の歴史」「闇の都市」という言い方をされています。隠されたものがある、と・・・。自分はまさに闇を感じていて、京都に来るととても苦しいと感じていたのですが、コンサートの回数を重ねるにつれて京都の地が軽くなっていき、闇が光になったというふうに自分には感じ、見えるのです。また、京都は日本でも歴史のある地であり、海外から日本へ来た方の多くは京都へ行かれます。京都の地が輝いたら海外の方は日本に光を見ると感じて、コンサートを開催させて戴き、京都の地がどんどん光に満ちていくということは、日本人だけでなく、海外の方もきっと希望を見るということもあります。私からしましたら、1回ずつの開催で闇の覆いが溶ける、とはっきりと見えるコンサートであります。

Q:コンサート参加を最優先する理由を教えてください。

いつも皆様に申し上げている事なのですが、コンサートでは生命に負担かかっているものが解かれ解放されていき、本当に必要な力が引き出されて・・・ということを毎回経験します。私はもう千何百回も経験していますので、毎回重荷が解け、必要な力が引き出されていくのです。人間、生きていたら目の前には常に何かしら色々な課題や問題があり、それはずっとつきものだと考えます。その目の前にある課題や問題は、コンサートが終わると次元を超えてる状態になるのでいつの間に難なく全部出来てしまうということがあります。

生命の力、内面の力が強くなると、能力が上がってきますので、色々なことが出来るようになるということを経験しています。「生きていく上で一番大事は、生命より大事な用事は世の中にないから」と、いつも皆様に申し上げているのは、いだきしん先生のコンサートに参加すると、生命本来の豊かなはたらきが取り戻されてくるのです。身体も元気になり、内面も豊かになり精神も豊かになりますので、飛躍するという経験になっていくのです。

私がいだきしん先生にお会いして分かったことは、人間は生命を優先すると、全部がうまくいく、ということを経験してきました。コンサートは自分が始めたことですが、昔は先生に会うことを優先していくと、身体は元気になり、周りの人が凄く助かっていき、仕事をすると夢のようにいい成果が上がっていくのです。そして、自分のやっていることが人のお役に立ったり、世の中の役に立っていくとか、何より未来の人たちに役に立てるということをだんだん経験して分かるようになってきました。

人は、自分の内面の状態で出会いが決まり、人間は内的環境が外的環境を作りますので、内面にあるものでその出会いやめぐりが決まりますよね。自分の経験では、いだきしん先生に会うまでは「男性恐怖だから痴漢にあう」というめぐりに遭っていました。でも、それ(マイナス因子)が無くなったら会わなくなったという状態でした。また、普段、仕事をしていると自分の傾向で人に会い、人間はどこまでいっても似たもの同士で会っていきます。似た者同士で仕事をしているといつか行き詰っていきますので、どこかで変わっていかないと、仕事というのはどんどん拡大していきません。そんな時にいだきしん先生のコンサートで飛躍的に内面開かれますと、出会う人が変わるのです。めぐりが素晴らしく飛躍的によくなるのです。24時間生きて同じ仕事をしても中身が違うだけで、出会いも変わりめぐりも違い、結果も違う、という・・・。これほどのものはないと自分はいつも考えています。ですので、同じ生きていく上でも、最高にいい状態を経験するという上では、内面が豊かであること、内面の豊かな経験はいだきしん先生のコンサートでできるので、「最優先してください」と申し上げています。

また、極端な例ですが、大変な時代、北海道の沢山の会社が倒産した時代がありました。その時に北海道でコンサートを開催しに行ったのです。開催したのは「大変だから」という理由もあったのですが、コンサートをお勧めすると、形がコンサートなので「余裕がある時に行く」というお考えの人が多かったのです。お手紙を書いてお電話をしていくと、最初は「コンサートなんて行ってる場合じゃない、倒産寸前で暇がない」と言われました。でも、私は思わず「単なるコンサートではないのです、内面が変わるのです」とお伝えしました。そして「失礼ながら倒産する方は、生まれながらに倒産するような内面の状態があるからそういうめぐりに遭ってしまうのです。中身が変わらないとめぐりは変わらないのです」と申し上げました。大変失礼ではありますが、倒産寸前、といったらもう倒産が仕方のない道だとは思うのです。ですが倒産しても人生は続いていきます。また同じことを繰り返すことよりもコンサートで内面が変われば、これからの人生変わります、と。まだ余裕があれば、それこそ何か知恵が生まれるかもしれないし、たくさんのはたらきかけや助けがある、ということもあるのですね。コンサートをご経験されたある方の中には、倒産間際のある時、ある出会いによって融資を受けて倒産を免れたという方もいらっしゃいます。中身(内面)が変わらないとそういう出会いも起きないですよね。ですので、「中身(内面)が変わる」ということが人生拓く、ということでずっとお勧めさせて戴いております。

Q:東北では、盛岡・仙台では震災後、チャリティーの後もずっとコンサートを継続されていますが、なぜでしょう。

東日本大震災が起こり、「東北の復興なくして日本の未来はない」と見えたことと、「人生賭ける」という本音で生き始めました。岩手県は被災地を全部回らせて戴いたのですが、つくづく復興は人間、ということを改めて身に沁みました。というのも、お会いした方々は気力がなく、内面が元気でないと復興はできないということを身に沁みました。また、お母様やお父様、身内が亡くなった方の悲しみの深さは普通は癒えるようなものではないと感じます。ですが、コンサートにいらっしゃれば、レバノンでお母様を殺された、私たちのNPO高麗のレバノン人のスタッフがそうだったように、悲しみが癒える日が来るということを分かっていましたので、ずっと多くの方々にご経験頂きたいという気持ちがあるというのももちろん一番のことです。

また、継続というのが大事というのは、「復興」というのはある面、街づくり、国創りと考えます。その国創りの柱というのは、「精神」と自分はいつも感じています。人間が心豊かで内面豊かな人でなければ、みんなが生きれるようないい仕事やいい社会をつくっていけないですよね。今のようにお金やモノが優先されてしまうと、一部の人は富を持って生きていけても多くの人は貧困によって苦しむという状態、こうしたことは本当の復興にはならないというのも甚く感じています。やはりいい国を創っていくのは、人間が豊かであること、その柱は精神ですので、いだきしん先生のコンサートで内面を本当に豊かに養うということが必要と感じます。

私は阪神大震災の時に西宮で被災した経験から、全国いつどこで災害が起こってもおかしくない日本列島ですので、常に「生命感覚を養うことが生命の危機管理」ということを日本中の方にお伝えしながら、先生のコンサートをチャリティーで開催してきました。いだきしん先生のコンサートこそが生命に余計なものがなくなって、本当に必要な力が生まれてくるという経験が起こりますので、これが「生命感覚養う」と申し上げております。

私は被災地に行ってもしょっちゅうこのお話をするのですが、受けとめたくないようなつらいお話にはなりますが、いざという時に人間、意識より身体が動くものです。私も阪神大震災で被災した時、いざという時はその瞬間、自分がどう動けるか、ということを思い知りました。普段、頭で準備していても思い通りにはいかないです。ですので、「生命感覚」が養われていないと死んでいくように動いてしまうということ、それはいつも事件や事故が起こる時に痛い程感じます。この度でしたら津波が来て、その津波が来る方に車を走らせる人がちょうどテレビの画面に映っているのを見たのですが、悲しくてたまらなくなりました。死にいくように命が動いてしまう・・・、そういうものを「無くす」「祓う(はらう)」ということをいだきしん先生のコンサートではして頂けるので、そういうものはどんどんなくしてしまう、ということが何より生命感覚を養う事と考えています。被災地となってしまったので、多くの人がずっと悲しみのまま、どんなに月日が経っても悲しみは生涯癒えないです。それでも先生のコンサートにお越し頂いて、悲しみが癒える、その時も来るということもありますので、ずっと継続して開催しているのは、そういう方々にご参加頂きたいという気持ちがあります。また、「復興」という事がありますが、柱は人間であり、人間には精神が必要ということで、ずっと継続していくことが一番復興の力になると考えて、開催させて戴いています。

Q:滋賀県・琵琶湖でのコンサート開催について教えてください。

京都も魂の導きで、東山が先祖の居住区だったということ、八坂の塔は先祖が作った塔ということで、知らずに偶然縁がありまして八坂の塔の真下の庭のような場所に2009年にギャラリーカフェを作りました。それから京都でずっとコンサートを開催していく中で、今度は比叡山の中腹にあるところに導かれました。当時、いだきしん先生の表現ができる場として、いだきしん先生のためにイタリアまで行ってピアノを作って頂きました。そのピアノを置く場所がないからとそのピアノに合う館をつくりました。「迎賓館」と呼んでいますが、偶然にも比叡山に作ったということもあって、琵琶湖を見下ろしていたのです。

実は兼ねてから「びわ湖ホールでコンサートをされないのですか」と色々な方から聞かれていたのです。ですが、どうして琵琶湖で開催するのでしょう・・・と本当の話、どうしてなのかわからなかったのです。琵琶湖を見下ろしている時「ああ、琵琶湖・・・」と考え始めました。琵琶湖でコンサートを開催するようになって、いくつか分かったことがあります。私は、自然のメッセージの声が聴こえてくるので、琵琶湖の畔にたたずんで波の音を聞いてると、琵琶湖は日本の歴史の真というか、秘密が隠されている、とぱっと聴こえてきたのです。それで、先生がコンサートで表現されるにつれて覆いが溶け、いつか真があらわる日が来たら日本は良くなると、ふっと未来が見えたのです。ですので、琵琶湖でコンサートをしていくと日本の真があらわれると自分は希望をもってさせて戴いています。

また、こちらも琵琶湖の畔で講演会をさせて戴いた時に偶然聞いたのですが、琵琶湖というのは太古の湖という話です。自分はエチオピアの人類最古の人骨「ルーシー」が発掘されたハダールという場所に(50度以上という危険な気温の中、)死ぬ思いで行ってきたのですが、当時450万年前の人骨と聞いていました。今は320万年等、色々な説がありますが、私が行った時には450年万年前と聞いていました。琵琶湖はその頃からあった湖と聞いた時に人類発祥の地のご縁を感じまして、琵琶湖でコンサートをすると、人類の源まで辿って本当の源の力が現れるのではないかと自分はそうふっと見えたのです。見えたことが本当かどうか分かりませんが、ただ、私は今まで人生で見えたことは真実と受け止めています。全部幻想だと思ったら生きていけないですよね。実際に見えたことは全部、現実に成っていったので、琵琶湖でコンサートをしていけば、きっと人類の源の力が現るだろうという、そういう希望をもって開催しています。

さらに個人のご縁では、琵琶湖のある滋賀県は昔、「近江の国」と言われていました。当時、近江国の国司だったのが高麗福信さんという方で武蔵国の国司でもありまして、兼任していたのです。それも琵琶湖でコンサートをするようになってから知ったのですが、なんというご縁でしょうかと大変驚いているところです。

Q:「心模様作品展」について聴かせて下さい。

きっかけは、2005年に私がレバノンのフェニキア9000年前の都市ティールで「高句麗伝説コンサート」をさせて戴いた時のことです。聴衆全員が魂覚醒して号泣したことが翌日の新聞のトップ記事として掲載され、私はティール市より永久名誉市民という称号を授与されました。そのティールが2006年にイスラエル軍から大変な爆撃を受け、子供が沢山亡くなって、子供だけではない、本当に沢山の方が亡くなって・・・。子供の施設も爆破されたのを見て、子供の遺体が海外のニュースで映っていた時、自分は悲しみで耐えられなかったのです。ティールの市長さんも私のことを「娘」と呼んで大事にしてくださり、NPO高麗のスタッフでありましたレバノン大学の故ガジ教授もティールの方でした。あれだけの感動のコンサートをした地が爆撃を受け、街が破壊されて・・・。その時、生命の奥から「悲しみをわかる人間はやることがある」というメッセージを聞いたのです。悲しいままで倒れてたら、何の役にも立てない、やることを探そうと必死で生きはじめたのです。そんなある日、「千人針の一針を」という夢を見ました。昔、戦地に赴く人の無事を祈りながら女性が一針一針、針を刺していったという・・・。では千人針の一針というのはどういうことでしょう、何をすれば命を守る、祈りとなるのでしょう・・・ということをずっと考えていた時でした。

人の生命の光、私はそういうのが見える人間です。人の命の内の光は、誰もおかすことも傷つけることもできない、ということを先生から聞いていましたこと、自分でも分かっていますので、生命の光を表わすことがその人の命を守ること、祈りになるということを感じて、それから生命の光を表わす作品づくりがはじまったのです。これが「心模様」という表現になりました。作品は、ペンダントやタピストリー、カチューシャなど色々ですが、「生命の光を表わして生命守られますように」という、「祈り」という気持ちで作っているのです。戦争の後、レバノンで作品展を開催しました時に、いだきしん先生は「神社が立った」とおっしゃって喜んでおられ、レバノンの方々も皆、涙を流して大変感動して下さったのですが、その喜びが尋常ではありませんでした。

また、2006年にコンサートを開催したブルガリアでは、病院の院長先生が心模様作品を見ていると心が癒されていくとおっしゃいました。ちょうど病院に入院されていた方のご家族が、私どものコンサートの担当者で、今はトルノボ市長さんになっていますが、当時は市長の次の立場の方でした。その方の奥さまが乳がんで入院されていて、私は心模様の額をお見舞いにプレゼントしたのです。すると、「見ていると心が安らいですごく良い」と感謝されたのです。そのお話を聞いた病院の院長先生が、そんな話があるものかと最初は疑っておられたのですが、「見ていると心が安らぐ」と確かに感じられ「全病室にかけたい」とおっしゃったのです。当初は購入をしたいと申し出がありましたが、寄贈させて頂きまして、今、そのブルガリアの病院には全病室に心模様の額が飾られ、手術室には先生のサウンドシステムと先生の音楽が流れています。当時のその市長さんもドクターでしたが、その市長さんは記者会見の時に「治療の一環として」とハッキリと表現して下さいました。「心模様作品は治療の一環として心身癒す」と、院長先生と市長さんのお2人ともドクターである立場の方がそう言ってご紹介してくだいました。

日本でも心模様作品展をさせて戴きながら、「内面の豊かさ、美しさが人生の豊かさ」ということを少しでもご経験頂けたら、という気持ちもがありまして各地で開催しています。数年前にはパリ、スペインでも開催しましたが、特にパリでは色々な国の方々が飛び込んでこられて大変楽しかったです。アジア系からもちろんヨーロッパの方々、そしてアフリカの方々・・・と皆さん、もうそれは大喜びでした。スペインのマドリッドで開催した時にはスペイン語圏の方々、南米の方々もいっぱいお見えになって、皆「宇宙空間にいるようだ」とか「次元を超えた世界だ」とおっしゃり、皆さんそれはすごく喜んで下さるのです。人間の内面は宇宙に通ずるという内面を中心に生きたら目の前のことがどんなにつらくても希望を失わないで生きていける、ということを自分はいつも感じています。それで、少しでも助けになればいいという気持ちで心模様作品を開催させて戴いています。

Q:レバノンのシリア・パレスチナ難民の方々等に2000枚以上の心模様作品のマーブリングTシャツを、エチオピアでも寄付、どんな反応でしたか?

レバノンでは難民キャンプに送ったのですが、レバノンの人も今、困窮していますので、レバノンの子供たちやシリア、パレスチナ難民の方々にも送って着て頂いています。子供たちは皆、大喜びだったそうで、そのTシャツを抱いて寝ているそうです。それを見ている大人も子どもたちが喜んでいる姿を見て、また大変喜んで下さるのです。マーブリングのTシャツには、宇宙をイメージするような模様が表れているので、「宇宙を身の内に生きて、どんなに困難でもつらくても希望を失わないで創造的に生きて道を切り拓いて頂けたら」という気持ちがあってお送りしているのですが、皆さん本当に喜んでくださっています。悲しみや辛さからはなかなか未来はつくれませんが、喜びはきっと未来に繋がって道をつくっていけるという望みがありまして・・・。子供たちが少しでも明るく元気で、という気持ちがあるので喜びの声がとても嬉しいです。

Q:「本音で生きて下さい」の講演会へいらっしゃる方へ、メッセージを。

講演会で話すのは、余命2カ月の生命が助かったという話、本音で生きてきたという話です。コンサートを優先すると全部良くなると申し上げたのが、やはり本音こそ命の要求で、自分は元気になりますし、生命は皆、同じにはたらいていますよね。人間は、人生も性格もそれぞれまるで違いますけれども、生命のはたらき、心臓や肝臓などのはたらきは皆、共通です。ひとりが本音を表現するとまわりの人も他の人の命の要求にも通じる、ということがあります。自分が本音を表現すると、まわりの人も助かったり喜んでいくということをいつも経験してきました。仕事も本音ですれば、すこぶるいい結果が生まれ、社会や未来に役立つということになっていきます。この事が人間、生きていて一番幸せと感じています。

ですので講演会は、皆様の生命の声、本音に出会う、そういう機会になればという気持ちで開催させて戴いています。どうやって聞いて頂こうかというより、生命で、内面で聴いて頂く、ということがありがたいということもありますし、何十回、何百回も聴いて頂いている方も大勢いらっしゃいます。話は自分の人生の話ですので内容は同じ話となります。そう聴いてしまえば1回聴けばいい講演会になるのですが、生きている今、時も場も違って話していますので、同じ内容であってもその時の状態で表現しているので、「今」なのです。ですので、皆様の「今」の本音に気づくとか出会うということでお越し頂けたらと願っています。その気で「本音との出会い」ということでお越し頂けたらと願っています。

Q:これからもコンサートを企画され、実現されたいこととは

元々、コンサート活動やいだき講座をさせて戴いている理由ですが、私は「世界の平和を実現したい」3歳の頃からそればかりを祈って生きてきました。人間として生まれた意味、人間とはどう生きたら幸せなのか、ずっと分かりたかったことなのです。いだきしん先生にお会い出来て、運命が解放されて本音で生き始めたら人間はこういうふうに生きれるんだということを人生で経験できたのです。

ひとりひとり、たった一回しか生まれてこない人間、一度きりの人生ですので「人間とは何か」ということを分かりながら人間としての人生を生きる、そうして生きれたらいいと、そうして生きられる世の中が良い世の中だと自分では見出して、NPO高麗の活動主旨では「ひとりひとりが真の自分を実現できる社会は平和な世界」と申し上げております。このことを世界中に伝えてきたのですが、この言葉が生まれたのはレバノンにあるテレビ局の生放送に出演していた時のことでした。

レバノンでは、内戦やイスラエル軍の爆撃が未だにある大変な国です。コンサートをしたくても初めて訪れてから5年間は開催できませんでした。いつ攻撃されるかわからない、戦争になるかわからないという理由でなかなかできなかったのですが、街に行くと銃弾の跡が沢山残っていたり、建物も銃弾の跡が残っていたりで破壊されていたのです。「あなたは平和という言葉が虚しいこの地で、なぜ、平和のコンサートをしたいというのか」ということを会う人みんなに聞かれていました。テレビの生番組でも訊かれ、質問をされたインタビュアーの女性はとても怒ってイライラした表情さえ浮かべていました。

そしてその瞬間、こう答えたのです。「戦争は一刻も早く止めるということは全人類がやるべき事です。日本は今、戦争こそない国ではありますが、では日本人が人間として幸せな人生を生きているかと考えるとそうは言えない、と。というのも、自分は人の運命を調べたり人の生きてる状態が見える人間なので、長い間見てきて、幸せな人はいないと自分はいつも見えます。というのは、この世で物質的に恵まれたりこの世の地位や名誉があるから幸せかというと、私にはそう見えないし、そうは考えません。人間として生まれ、自分の存在は何なのか、自分のもって生まれた能力や資質を本当に生かした時、そういう時が人間の幸せだということを自分は見つけ始めたのです」と申し上げました。というのも、実際に戦争はないとしても、特に日本人は自分の気持ちを抑え込んでしまう傾向の人が多く、抑え込んで我慢をして身体を壊して死んでいく人生というがほとんど、と言ってはいけないですけれども、私の知っている人はそういう人が多かったのです。母も気持ちを生かして生きられない年代で、父の顔も見ないで嫁いできて一緒に暮らして子供を産む、という生き方でした。今では信じられない事ですが、一代前の女性はそういうふうに生きていました。本人も幸せと言っていませんでしたし、幸せとは言えないと考えます。

ですので戦争があるない、というより・・・ないのは先ほども申し上げた通り、全人類が取り組むことであってはいけない事です。ですが、ないとしてもこの社会は人間が幸せに生きれる社会とは考えられません。ですので、「人間が人間としての本当の幸せを実現できる良い社会を創りたい、平和な世界を創りたい」は、今までもそれだけで生きてきてきて、これからも人生賭けて実現したい事で、何よりやりたい事であります。