世界伝説 第116弾

10月にはいよいよグルジア、アゼルバイジャン「高句麗伝説」開催に向かい日本を旅立ちました。最初はグルジアでの開催です。再びトビリシに降り立ちました。グルジアに着いて驚いた事に、予定していた会場が大統領令により使用出来なくなったと聞きました。大統領の行事で使うとの事でどうにもならないと聞きました。私はこんな事があるものかと驚き困惑し、どうしたらいいのかと考えました。自分が考えても答えを出せる事ではありません。現地の方に考えて頂くしかないのです。代替の会場として挙がってきたのが、何と私が一番最初にここでやりたいと感じた教会でした。会場が使用出来なくなり、最もやりたいと感じた会場での開催となった事に大いなる働きかけを感じました。この様な巡りになっていく事をいつも本音で生きていると経験させて戴いています。この度も一瞬がっかりしましたが、私にとっては良かったと安堵したのでした。

いだきしん先生は、グルジアではレプタリアンの様な魔物が空間一杯に見えるとおっしゃって、そのエネルギーと闘っておられました。スターリンの生まれた地でもあり、グルジアに来る前に初めて知った事でしたが、フェニキアのルーツであり白人のルーツという表現を聞きました。フェニキアは善と悪があると以前から調べた時にも書いてありましたし、人からも聞いていました。私は、いだきしん先生から高句麗の源を辿り、ルーツはフェニキアとお会いして間もなくの頃お聞きし、大変驚いたのです。高句麗はバイカル湖発祥の騎馬民族と自分は思っていました。先生にお会いする前からバイカル湖には行ってみたく、バイカル湖にはどの様に行けば行けるのかと調べたり、バイカル湖の写真集を手元に置いて見ていたのでした。フェニキアと聞いた時には、本当にどういう事なのか意味が分からなかったのです。そしてある日、「フェニキア人」という本を買ってきました。ページを開いた瞬間、写真に写る男の人は父にそっくりでした。その瞬間フェニキアかもしれないと感じたのです。そして父が亡くなった後、フェニキア9000年前の都市、レバノンのティールの遺跡にて亡き父の魂に出会えたのです。亡き父の魂に真に会えたので、私は新しい人生を始める事が出来たのです。魂は永遠と分かったからです。父の魂にフェニキアの地で出会いましたので、やはりここにルーツがあると自分は分かる事が出来ました。フェニキアがルーツという事で、以前レプタリアン説を研究している方が私の事をとても誤解し、争いの火種という言い方をしてきた事がありました。私は、何の根拠があってその様な事を言うのかと、根拠を示してほしいと申し出ましたが、根拠はないようでした。撤回と謝罪を求め、先方の人は撤回と謝罪文を提出したので、そこで話は終わりました。自分も、ある時にレプタリアンの事が書いてある本を読んだ時、フェニキアの事が記されていました。とても驚きドキドキしたのです。悪い方の血が流れていたらどうしようとその時は本気になって心配したのでした。そして、いだきしん先生に尋ねるまで心配したのでした。いだきしん先生は、違うとすぐにおっしゃって下さいました。もしそうだったら、いだきはやっていないとおっしゃって頂き、私は胸の奥から安堵したのでした。たとえ悪い方の血が流れているにしても、いだきしん先生にお会い出来ているのですから、なくしていくよりないとは覚悟はしていました。グルジアがフェニキアのルーツと聞いた時に、レプタリアン説もまた思い出したのです。いずれにしましても大いなる働きかけにより導かれた地である事は間違いないとよく分かりました。以前来た時も、川も白と黒に分かれていましたし、7人の兄弟の山も白と黒でした。そして、そこで受けたメッセージがこの世は分けられるというメッセージでしたので、この地はその様な歴史があるのだと自分は感じ始めていたのです。いだきしん先生がずっとそのエネルギーと闘い続けておられました。天候も悪く雨降りが続きました。リハーサルの日は雨降りで、いだきしん先生がやれるような状況ではないという事をスタッフが伝えてきました。いだきしん先生は即座に、リハーサルが出来なければ本番は出来ないとおっしゃったのです。その言葉を受け、スタッフはリハーサルが出来る様に動き始め、大雨の中リハーサルを行なったのでした。そして本番が出来る様になったのです。中々スムーズに行かず、困難が多かったと記憶しております。

私はいつも色々な国でコンサートを開催する時に、その国の歴史を見ます。その国が辿った運命を見るのです。コンサート開催実現に向かう時に、その国の運命が巡りとなって起こるのです。その巡りをもって私は、この国の人がどの様な歴史を生きてきたのかという事を知るのでした。コンサート開催への道は、歴史を解放し新しい歴史を創る事であると分かり始めました。その国によって起こる巡りや困難は違います。が、いずれもコンサートが開催出来ない様な事が起こるのです。そこで開催を諦めたら、また過去を繰り返すのです。コンサート開催は諦める事なく、実現するよりないので、様々な困難を乗り越えて実現に至ります。その時初めてその国の負った歴史は変わるという事を分かってきたのです。コンサート開催を実現出来たらその国の運命は変わるという事が分かると、どんな困難があっても乗り越えていく力が湧いてくるのです。以前グルジアに来た時に、帰りの空港でパスポートコントロールにて、大変長い時間調べられました。不安にもなりました。最後は無事に出国出来たのですが、パスポートに色々な国に行った形跡が残っていますので疑われたのでした。特にアルメニアに行った直後でしたので、大変疑われてしばらく待たされたのでした。パスポートの期限はまだ残っていましたが、このパスポートを持っていると色々な国に行っている形跡が残っていますので、この様な疑われる事も多いと感じ、日本に帰りすぐに新しいパスポートを申請したのでした。この時はまっさらなパスポートで来ましたので、入国する時には何も問題なく通過出来たのでした。この様な事一つ一つがその国の歴史や現在の状況を表わしています。コンサートを実現する時に様々な問題が現われてきますが、いつも乗り越えて実現してきました。グルジアでも会場が使用中止になる事から始まり、今までにない困難が待っていましたが、無事にリハーサルを終え本番を迎える事が出来たのです。本番では、いだきしん先生が見えていたという魔物の様な、レプタリアンの様な、恐竜の様な悪魔的なエネルギーが渦巻いていました。この様なエネルギーが動いている時は、困難ばかりだという事は自ずと分かります。いだきしん先生の演奏によって魔物が消えていく事を私は見ました。必死でいつも詩を詠んでいますので、何が起こってどうなったかという事を細かく覚えてはいないのですが、魔物が消えた事はよく覚えています。

そしてこの時、5台のカメラが全部壊れてしまい、無人のカメラだけが動いていたのでした。いつも「高句麗伝説」をDVDにするのですが、この時のDVDは無人カメラの映像しかなかったので、作る事もとても困難でした。私がこれでいいと感じる最終許可を出せないで、大変てこずった事を覚えています。1台のカメラしかないので妥協よりなかったので、最終的に1台のカメラの映像で作る事にしたのでした。魔物がいてもコンサートを開催出来た事は大変な事であると自分では分かっています。いだきしん先生がおられたから開催出来たのです。そして魔物に負けずに、いだきしん先生は生命賭け、魔物を消す働きと表現をなさったのです。世界は変わると自分は感じました。無事に開催出来た事は本当によかったと、終わった後は安堵よりありませんでした。雨が降り続き、湿気がある空気と魔物がうごめく空間と、そして終わった後の全てが一掃された爽やかさが残っています。続く…。