10月にはいよいよグルジア、アゼルバイジャン「高句麗伝説」開催に向かい日本を旅立ちました。最初はグルジアでの開催です。再びトビリシに降り立ちました。グルジアに着いて驚いた事に、予定していた会場が大統領令により使用出来なくなったと聞きました。大統領の行事で使うとの事でどうにもならないと聞きました。私はこんな事があるものかと驚き困惑し、どうしたらいいのかと考えました。自分が考えても答えを出せる事ではありません。現地の方に考えて頂くしかないのです。代替の会場として挙がってきたのが、何と私が一番最初にここでやりたいと感じた教会でした。会場が使用出来なくなり、最もやりたいと感じた会場での開催となった事に大いなる働きかけを感じました。この様な巡りになっていく事をいつも本音で生きていると経験させて戴いています。この度も一瞬がっかりしましたが、私にとっては良かったと安堵したのでした。
いだきしん先生は、グルジアではレプタリアンの様な魔物が空間一杯に見えるとおっしゃって、そのエネルギーと闘っておられました。スターリンの生まれた地でもあり、グルジアに来る前に初めて知った事でしたが、フェニキアのルーツであり白人のルーツという表現を聞きました。フェニキアは善と悪があると以前から調べた時にも書いてありましたし、人からも聞いていました。私は、いだきしん先生から高句麗の源を辿り、ルーツはフェニキアとお会いして間もなくの頃お聞きし、大変驚いたのです。高句麗はバイカル湖発祥の騎馬民族と自分は思っていました。先生にお会いする前からバイカル湖には行ってみたく、バイカル湖にはどの様に行けば行けるのかと調べたり、バイカル湖の写真集を手元に置いて見ていたのでした。フェニキアと聞いた時には、本当にどういう事なのか意味が分からなかったのです。そしてある日、「フェニキア人」という本を買ってきました。ページを開いた瞬間、写真に写る男の人は父にそっくりでした。その瞬間フェニキアかもしれないと感じたのです。そして父が亡くなった後、フェニキア9000年前の都市、レバノンのティールの遺跡にて亡き父の魂に出会えたのです。亡き父の魂に真に会えたので、私は新しい人生を始める事が出来たのです。魂は永遠と分かったからです。父の魂にフェニキアの地で出会いましたので、やはりここにルーツがあると自分は分かる事が出来ました。フェニキアがルーツという事で、以前レプタリアン説を研究している方が私の事をとても誤解し、争いの火種という言い方をしてきた事がありました。私は、何の根拠があってその様な事を言うのかと、根拠を示してほしいと申し出ましたが、根拠はないようでした。撤回と謝罪を求め、先方の人は撤回と謝罪文を提出したので、そこで話は終わりました。自分も、ある時にレプタリアンの事が書いてある本を読んだ時、フェニキアの事が記されていました。とても驚きドキドキしたのです。悪い方の血が流れていたらどうしようとその時は本気になって心配したのでした。そして、いだきしん先生に尋ねるまで心配したのでした。いだきしん先生は、違うとすぐにおっしゃって下さいました。もしそうだったら、いだきはやっていないとおっしゃって頂き、私は胸の奥から安堵したのでした。たとえ悪い方の血が流れているにしても、いだきしん先生にお会い出来ているのですから、なくしていくよりないとは覚悟はしていました。グルジアがフェニキアのルーツと聞いた時に、レプタリアン説もまた思い出したのです。いずれにしましても大いなる働きかけにより導かれた地である事は間違いないとよく分かりました。以前来た時も、川も白と黒に分かれていましたし、7人の兄弟の山も白と黒でした。そして、そこで受けたメッセージがこの世は分けられるというメッセージでしたので、この地はその様な歴史があるのだと自分は感じ始めていたのです。いだきしん先生がずっとそのエネルギーと闘い続けておられました。天候も悪く雨降りが続きました。リハーサルの日は雨降りで、いだきしん先生がやれるような状況ではないという事をスタッフが伝えてきました。いだきしん先生は即座に、リハーサルが出来なければ本番は出来ないとおっしゃったのです。その言葉を受け、スタッフはリハーサルが出来る様に動き始め、大雨の中リハーサルを行なったのでした。そして本番が出来る様になったのです。中々スムーズに行かず、困難が多かったと記憶しております。