世界伝説 第112弾

 2010年5月は、イラン革命後初となりました「高句麗伝説」コンサートをイラン、テヘランにありますバフダットホールにて開催出来る事になりました。ペルセポリスのコンサートを許可して下さいました副大統領がこの時も許可下さいました。女性が舞台に立つ事は法律により禁止されているとの事でしたが特別許可を頂きました。そして、女性の声を男性が聞く事も禁じられているとの事でしたが、男女共に参加出来るという事になったのです。この事がイラン革命後初の事と知りました。イラン人は大変喜んで下さいました。テヘランに着き、最初に記者会見が行われました。当時、韓国ドラマの「朱蒙(チュモン)」が大流行していました。夕方になると皆いそいそと家に帰るそうです。「朱蒙」を見る為に皆帰っていくという話を聞きました。それ程夢中で「朱蒙」のドラマを見ていたとの事です。私と一緒に活動するイランのNPO高麗のスタッフはある日、テレビを見ている時に「高句麗(コグリョ)」という名前を見て、もしかしたら高麗さんと感じ、驚いたと話してくれました。彼は、1カ月の海外「高句麗伝説」コンサートツアーを一緒に行った人です。毎回、「高句麗伝説」を経験していますので、その「高句麗」の最初の王様のドラマと知った時には本当に驚いたそうです。それも、イラン人が夢中になって見ている事にも驚いたそうです。2人に1人は「朱蒙」を見ていたと聞きました。その事があって記者会見では、「朱蒙」の質問から始まりました。そして、「朱蒙」の子孫が来たと皆で喜んで下さいました。その時、いだきしん先生は、記者が高句麗は韓国と思っていましたので、まずその事を正したのです。「朱蒙」のドラマが作られた時、元旦の韓国の新聞のトップページに、我々の偉大な先祖の魂を取り戻そうというキャッチフレーズが掲載されていました。我々の偉大な先祖とは松花江から生まれた高句麗と書いてあったのです。韓国は高句麗が自分たちの先祖であるという事を打ち出そうとし「朱蒙」を制作したのでした。日本でもとても流行りましたが、海外でも大ヒットしたのです。海外の人は、高句麗は韓国と思ってしまうのでした。それは違う事をいだきしん先生はお話され、また朝鮮民族でもないという事もきっぱりとお話下さいました。高句麗人はツングース系民族です。その瞬間、記者の質問といだきしん先生との応答が激しく交わされ、何度もいだきしん先生は「朝鮮民族ではない。同じ民族を滅ぼせるか。」ときっぱりとおっしゃったのです。その言葉が私の内に飛び込んできたのです。自分ではよく分かっているつもりでしたが、小学校の教科書には古代朝鮮、高句麗、新羅、百済という表記があった事が私の頭の中にはインプットされていました。いだきしん先生に出会い、自分の生命の内に受け継がれてきた高句麗の歴史を紐解く中で、高句麗人はツングース系民族であったという事を知ったのです。合点がいく事でした。が、子供の頃に教科書に書いてある言葉とは、これ程頭の中に刻まれるという事をこの時初めて気が付いたのです。まるで、洗脳を解く様にきっぱりとおっしゃって下さるいだきしん先生のお声が頭の中で響き、真実に出会ったのです。イランの記者も理解した様です。この度は同じバフダットホールでいだきしん先生のコンサートも開催する予定でした。

私は、イランでカフェを作りました。そのカフェに置くコーヒーカップやグラスをバフダットホールの楽屋にて制作したのです。イランのNPO高麗スタッフが私の制作があまりに速い事に驚きました。日本に来た時、ラフォーレミュージアム六本木というイベント会場で「高句麗伝説」やいだきしん先生のコンサートを開催した時にロビー一杯に私が作った作品が並べられていると、いつこんなに沢山作るのかといつも聞いていたのです。作っている現場を見た時に、これだけ速ければ、あれだけの作品が作れるものなのだと大笑いしていました。一緒に運ぶ事を手伝っていましたが、運ぶのが間に合わない程速く私は絵を描いていくのでした。大変面白い制作でした。私は、緑と紫の組み合わせが好きです。この組み合わせをコグリョカラーと呼んでいます。高句麗五女山城の石垣の色が緑と紫色だったからです。高句麗色とかコグリョカラーと言いながら、この組み合わせを多く使います。イランでは、コグリョ・ペルシャ編と名付けペルシャンブルーを加え、緑と紫とペルシャンブルーの組み合わせで心模様を描きました。とても美しい色合いです。また、日本からカフェに展示する縮緬生地に心模様を描いたタペストリーも運んできました。タペストリーの心模様を描いている時に、私は「平和の特使」という言葉が生まれました。私の代わりにこのタペストリーがイランのカフェで働いて下さるのだという気持ちになったのです。内面が豊かに、愛に満ちる空間が作られればいいと願いながら描いたタペストリーです。また、ペンダントやブローチも沢山作りました。カフェの特別作って頂いたテーブルは、アクセサリーを入れるガラスケースがついていましたので、お客様はコーヒーを飲みながら心模様のペンダントやブローチを見る事が出来るのです。イランのカフェは「RAZE RAY」という名前です。サンクトペテルブルグでいだきしん先生がつけて下さったのです。そして、サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館で見たテーブルや椅子のイメージを話してイラン人の建築家が作ってくれたテーブルと椅子が置いてあります。とても素敵なカフェになりました。最後に心模様のカップもグラスも出来上がり、ほっと致しました。これからどの様な方がこのカフェにお越し下さり、内面と出会ってゆかれるのかと考えると、とても心がときめくのでした。「RAZE RAY」でのひと時はとても楽しく、幸せなひと時でした。

イランの建築家

私は、イランでのいだきしん先生のコンサートが大好きです。内面深くを辿り、最も神聖なる内面を経験出来るのです。バフダットホールは、初めてイランに来た時にコンサートを開催したホールです。当時は大変汚れ、傷んでいましたので私がお掃除をする程でした。ピアノは傷みきっていました。が、この時は別のホールに来たかと錯覚する程、全ては新しく変わっていました。どう考えてもあの時と同じホールとは、私には感じられなかったのです。バフダットホールの館長さんが私達をランチに招いて下さいました。ホール内の館長室にてのランチでした。そのお部屋もまるで違う所に来た様に感じる程、初めて来た時のイメージは全くないお部屋であったのです。ピアノは新しいピアノと変わっていました。先生がイランにて前代未聞のコンサート開催許可が下りたので色々な所が変わっていくのだと私は考えました。新しいホールの様に感じるバフダットホールでした。内面深くを辿り、自分がどう生きるかを深く考えていけるイランのコンサートは、とても忘れる事の出来ない尊い場です。イラン人も皆様身じろぎもせずじっと真剣にお聴き下さるのです。この様な経験が生きる上で宝といつも感謝し聴かせて頂いています。続く…。