世界伝説 第111弾

 2010年が明けました。私は五女山の雪の頃に行った事がないので、行ってみたい気持ちがありました。五女山の春、夏、秋、冬、四季を通して行けました事はとても嬉しく、ありがたい気持ちで一杯です。ふと、雪の頃は行っていないと感じた時から、行きたくてたまらなくなりました。ちょうど3月2日はいだきを始めた日です。北緯40度の地である五女山は、きっとまだ雪が積もっている頃と考え、この日を目指し行く計画を立てました。雪山の登山の備えをしました。スポーツ用品店に行った時に、「これで万全です」と店員さんに選んで頂いたものを揃えました。私もこれで万全だと感じ、とても嬉しく幸せ一杯でした。靴は雪山でも大丈夫という靴で、ピッケルも用意しました。緊張もありながら、とても楽しみに五女山へと旅立ちました。驚いた事に、瀋陽までの飛行機の中で靴の底が抜けてしまったのです。またこれかと驚きました。前にヨルダンのイエス・キリストが洗礼を受けた地に行った時もスポッと抜けてしまったのです。今度は五女山に行く時に抜けてしまうとはと驚きました。中国に着いてすぐにガイドの王さんに靴屋さんに連れて行ってもらいました。こんな事になるとは驚きです。また、瀋陽から幾つもの山を越えて、車で五女山へと向かうのです。私は、五女山がある桓仁県に近づく山を越える時に、必ず眠ってしまうのです。そして目が覚めた時、深淵なる空気と内面深くに触れる風を感じ、ここは何処と辺りを見ると必ず桓仁県と書かれた木の看板の所なのです。この時も、目が覚めた時に桓仁県と書かれた木の看板が飛び込んできました。そしてしばらく行くと体がときめいてならない場所があります。私は思わず「あ、五女山だ」と叫ぶのです。すると王さんは「違います」ときっぱりと言うのです。その瞬間いつも私は先祖発祥の地を何故間違えるのかと内面を辿るのでした。理由は分からずに何度も同じ事を繰り返していました。この時は瞬間、王さんに尋ねたのです。「五女山は山城で、平城もありますよね」と。王さんは「ありますよ」と答えました。何処ですかと聞きました。この辺りにあるとおっしゃるのです。であるならば、明日連れて行ってほしいと私はすぐに言いました。王さんはいいですよとおっしゃり、明日行く事になったのです。ホテルでは色々不便な事がありましたが、不便な中で工夫する事に慣れました。どうせホテルの人に言っても解決しない事なので、自分で何とかするよりないので、色々工夫する事を覚えたのです。朝になり、身支度を始めました。鏡に映る私の顔は、もはや私の顔ではありませんでした。とても精悍な凛々しい男の人の顔に見えました。私は東明王様はこんなお顔だったのかと感じると、心がときめいてならないのです。化粧をすればする程男顔になり、より精悍になっていくのでした。心はときめくばかりです。ちょうど青いパーカーも着ていましたし、被る帽子も男性の様な帽子でした。これで身軽に雪山に登れると自分は感じたのです。そしてまだ寒い早朝にホテルを出発し、東明王様が最初に作った平城跡に連れて行って頂きました。何とその場所は私がいつも五女山と間違える場所だったのです。魂のはたらきの凄さに畏れ入りました。間違ったのではなく、魂は知っていたのです。知っていたが故に胸が動いてならなかったのです。初めて合点が行き安堵しました。何故先祖発祥の地を間違うのかの問いは、間違っていました。本当は分かっていたのです。それを受け止めるだけで、体も心も浮き浮きと弾んでくるのでした。

高句麗発祥の地、東明王様が最初に作った平城跡に立つ時、早春の風が吹き抜けました。東明王様は爽やかでこの風の様に心何もなく天と通じ生きていた御方であるという事を生命で教えられました。愛おしい香りがします。こんな御方にお会いしたなら、一緒に国を創っていきたい気持ちが生まれます。

東明王様が眺めた平野を、私もここに立ち眺める事が出来る人生の不思議さ、神秘的な事に魂震えるばかりです。雪原を眺め、遥か彼方遠い昔に心馳せます。若き王がここに立ち、ここで働き、共に生きる人が集い、共に働き、暮らしていた光景が見えます。生命ひとつで生きた温もり、生命の躍動、大地の胎動まで感じます。私の生命は喜び、躍動し、魂揺さぶられてなりません。私も国を創ると本音が生まれました。ここに来れて本当に良かったと涙まで込み上げます。これ程爽やかな地はないと感じ、ずっとこの風に吹かれていたい気持ちでした。そして何もない所から皆が生きていける国を創りたいと心の底からその気持ちが生まれました。高句麗発祥の地は国創りのエネルギーに満ちています。国創りの風、エネルギーに触れ、生命は躍動するばかりです。

平城跡を発ち、五女山へと向かいました。五女山は雪に覆われていました。いつも見る道は見えず、どこを歩いていいかは分かりません。一面雪景色なのです。ピッケルを持ち、足元を確認し、歩いていくのです。私は雪道であってもどんどん歩けるのでした。真白い道をどこまでも歩いて行きたい気持ちで、どんどん歩いて行くのでした。

途中、落ちたら上がって来れないと聞く危険な地域があり、そこだけはガイドさんに止められました。一見見れば、同じ様な雪に覆われていますので、このまま平地が続く様に思ってしまいましたが、危ない所だと聞き、また、いだきしん先生にも気を付ける様にとおっしゃって頂き、私は真っ直ぐ行きたい衝動に駆られましたが、足を止め引き返しました。いつもと違う道を通って行くと言われても真白い道ばかりが続きますので、私には分かりませんでしたが、歩く事が楽しく、雪道が苦手な私がこんなに雪道を歩けるとは自分でも驚くばかりでした。

1998年5月に初めて訪ねた時に出会った城壁跡に着いた時に、やっと五女山城に来たという実感が湧きました。雪に覆われた城壁の上を東明王様が歩いて来られる御姿が目に浮かんだのです。東明王様はきっとこの道を歩かれたに違いないと魂は感じていました。古の高句麗時代の光景が心に見え、東明王様や共に生きた高句麗人の姿が見えました。私にはこの瞬間が喜びなのです。以前、高麗の郷、巾着田に行った時に、雑木林の中に若光王様を見たのです。夕暮れ時、風に吹かれ、一日の仕事を終えた若光王様が何人かの人と歩いている姿を見たのです。その時私はボラロイドカメラを持っていましたので急いで写真を撮ったのです。何と青い光が写っていました。姿は見える訳はありませんが、私には見えました。青い光となり若光王様は写真に写っていたのです。ところが年々光はなくなり、最後は何も見えない写真となっていきました。この時も、私の内では間違いなく若光王様に出会ったと感じていたのです。

五女山城の石垣を歩く東明王様にお会い出来た事も魂では真であると感じています。これ程の喜びはありません。2000年前に生きた東明王様にお会い出来るというのが人間であるならば、人間とは本当に計り知れない存在であると魂震えるのです。雪の五女山をあっという間に歩き、またいつもの様に夕暮れ時に下山するのです。下山する頃には万全に来ましたが、体は冷え切っている事に初めて気付きました。いつもの様に朝鮮料理店に行き、温かい鍋のお食事を頂いた時には、冷えた体が温まり、とても美味しくほっとした事をよく覚えています。3月2日いだきを始めた日に、東明王様が初めて作った平城跡に行き、私も国を創ると本音が生まれ、雪の五女山にて東明王様にお会い出来、最高のいだきを始めた記念日となりました。雪の五女山の写真を、いだきしん先生は沢山撮って下さいました。私はふと、この写真が表に出る時高句麗の真が顕わると直感したのです。雪が解け、雪に覆われていたものがどんどん表に現わる様に、闇に覆われていた真がどんどん顕わる時が来ると見えたのです。そして高句麗の真も顕われ、歴史は変わっていくと見えました。雪の五女山の写真は、中々皆様に見て頂く機会がありませんでした。時が満ちていないのかと考えながら、時を待ちました。やっとお披露目出来たのは、京都事務所が作られてから京都事務所で写真展を開催した時の事であります。京都にて、雪の五女山の写真を全部展示する事が出来ました。圧巻でした。これで高句麗の真が顕わると感じ、大きく前進出来た感覚がありました。続く…。