世界伝説 第106弾

2009年は八坂の塔の真下の物件を契約し、カフェを作る準備をずっと行っていました。建築家と打ち合わせをし、様々な備品を探し求め色々な所にも行ってきました。京都は歴史ある街でありますので、景観を守る為に様々な条例があります。それを全て満たしていくという事で綿密な打ち合わせが必要と聞いていました。私は、高句麗の風が吹くカフェと見えていましたので、店内の内装からインテリアまで最初に見えていたのです。以前、高句麗の風が吹くカフェを作るという夢のお告げがありました。どこに作るかをずっと考え、探していました。最初は、ソウルに行きカフェの物件を探したのです。中々いい所がなく、ソウルでカフェを作る事はやめました。そして、八坂の塔の真下の物件に導かれたのです。

ここは高句麗の風が吹くカフェよりないと心に決めていました。建築家から様々な方が色々ご提案して下さったのですが、私はこうするというものが見えていましたので一応アドバイスは受け容れましたが、他の方が提案するものは条例に引っかかり出来ないという結果になっていったのです。そして、結局私が見えた通りが通っていくのでした。歴史あるカフェを作ろうとしていますので、歴史ある街の条例に合わない訳がないと心の中では笑いがこみ上げるのでした。すべて自分の見えた通りに進んでいきました。打ち合わせから準備に今までお会いした事のない業種の方から色々お会いする機会が多くなり、拠点がないとやっていけないという事を感じ始めました。そして、私は京都では夜休む事が出来ないのです。一睡も出来ずに次の日働いたり、活動する事はとてもしんどい事でした。それも、2日も3日も眠れないのです。疲労困憊となってしまいました。そこで、自分の拠点となる家を借りようと決めたのです。

いくつか物件は見ましたが、中々即断即決出来る程的にはまった場所には出会えませんでした。見た中で一番良いと感じた所で手を打ち、契約をする事にしました。それは、探している目的には合うつくりだったのです。オフィスやテナントにしていいという物件で、また住居も兼ねているという物件だったのです。正に、多くの人とミーティングをしたりするオフィスの様な部屋もあれば、住居もありましたので目的には適う物件でした。10月1日に入居しました。秋の美しい日差しが差し込み、爽やかな風が吹く清々しい日でした。10代の頃に京都の街を歩いて回った時もこの風が吹いていたと思い出しました。あの時は未来からの風が吹いていたのかと、ふと感じたのです。未来に私が京都に家や拠点をもつ事を生命は予感していたのかと、ふと感じたのです。あの時吹いた風と同じ風だったのです。

ボランティアの人が沢山お手伝いに来て下さり、皆で何かを作り上げていく様な気持ちでした。まるで五女山城を作っていく様な気持ちに皆がなっていったのです。標高700メートル少しある山の上に2000年経っても崩れない堅牢な石垣を作る事と比べては大変申し訳ない事でありますが、国創りの始まりと感じる息吹にあふれていました。オフィスとしても使用できるというリビングはとても広く、いだきしん先生が撮影されたお写真の大きな額もギャラリーの様に沢山展示できる部屋でした。これだけ広ければ沢山の人に起こし頂いても大丈夫という空間でした。住居の方も広かったです。いくつも部屋がありました。皆でお掃除しなければとてもやりきれない広さでありましたのでお手伝い頂きとても助かりました。その日の夜は新居で泊まりました。ホテルと同じに全く眠る事ができませんでした。京都はどこに泊まっても休む事が出来ないのかと考え始めました。その家にいると戦火の中にいる様な感じとなり戦をしている様な気持ちになるのです。その家こそが本能寺跡であったと後から知りました。近所の方も教えてくれました。まさにこのマンションが立っている所が織田信長が殺された所だよと教えてくれたのでした。私は身震いしました。なぜその様な巡りになってしまったのかと考えました。夜は眠れませんが、昼はこの部屋で色々なお客様がお越し下さり、八坂高麗ギャラリーカフェの打ち合わせが出来たのです。冬の寒い夜、東京から京都に夜遅くに着きました。ベッドに入った瞬間驚きました。冷凍庫に入っている様に体が凍てついたのです。温まる気配はなく、私は服を着、ダウンコートを纏いじっとするよりなかったのです。暖房をつけても温まる事はありませんでした。この家は暮らすには居心地の悪い家と段々心配な事が多くなってきました。ただ広い部屋なのでボランティアの方が集い、コンサートチケット販売に向けてのミーティングが出来る場所でありますので、コンサートに向かってはとてもありがたい場所でありました。下はウィークリーマンションになっていましたのでボランティアの方々が泊まるのです。まるで下で門番をしてくれている様な感じでありました。皆で合宿している様だと笑いながら10代に戻ったような楽しい感じでコンサートチケット販売活動が出来たのです。チケットが売れないと皆で私の家に集まり、これからまた出発し街中に出ていくのです。そしてチケットを売って帰ってくるのです。この様な毎日を送りながらコンサートチケットが完売していったのです。続く…