世界伝説 第105弾

2009年6月はロシア、サンクトペテルブルグからイラン、テヘランへと行きました。前回は3月で雪が降っていましたが、初夏のサンクトペテルブルグは緑輝き、青い空が抜ける様に高く、清々しい大きな風が吹く、とても心地の良い季節でした。公園を歩くだけで楽しく、未来に夢を馳せます。

アルメニアからロシアでのコンサート開催のお手伝いをして下さる旅行会社の社長さんとイラン、テヘランからいつも一緒に歩いていますNPO高麗のスタッフも一緒に来てくれました。彼は、ロシアに留学した事があるので、ロシアでの動きの時にお手伝い頂けるかと考え来て頂いたのです。アルメニアの会社の社長とコンサート開催の候補地をいくつか見ました。公園であったり、港であったり、3つの候補地を見ました。どこもあまりピンとこなかったのです。そして、コンサート担当者とのアポイントメントがあり、サンクトペテルブルグの市庁舎へ行きました。市庁舎へ着いた時、観光バスが1台止まりました。バスから降りてきた方々は、一斉に私の方にカメラを向け写真撮影を始めたのです。私は大変驚き、恥ずかしくもあり、どうしていいか分からないながらも、一斉にカメラを向ける人達の姿を見、笑いが込み上げてしまったのです。私を観光に来たのかと考えると可笑しくてたまらなかったのです。新しい生き方をしている人間を観光するとは、新しい時代が来たのだと一人で勝手にストーリーを描いて笑ってしまったのです。驚く経験でした。市庁舎へ入り、コンサートの打合せの為にコンサート担当者にお会い致しました。開催主旨をお話させて戴くと、とてもご賛同下さいました。そして「あなたの様な御方は、今行った場所はふさわしくないと考えます。あなたにふさわしいのは、エルミタージュ美術館です。」とおっしゃって下さったのです。私は、夢の様だと驚喜しました。「エルミタージュ美術館が使えるのですか」と尋ねました。「使えますよ」とおっしゃって下さったのです。そうであるならば、エルミタージュ美術館がいいと私は的にはまった様に見えたのです。候補地が中々ピンとこない状況もありましたので、ここに辿り着けて良かったと安堵したのです。早速エルミタージュ美術館でのコンサートの詳細の打合せをしました。

市庁舎をお暇してから、後でコンサートの会場の使用料金の連絡があり、1億円という金額だったのです。使用料金に1億円を払う気持ちはありませんでしたので、やむなく断念しました。ロシアではいつも嬉しい気持ちになったり、その後落ちていったりとなる経験が続きます。この時も残念ながら、サンクトペテルブルグまでやって来ましたが、サンクトペテルブルグでのコンサート実現へは至らなかったのでした。それでも美しいサンクトペテルブルグの街を歩くだけで、とても楽しい時を過ごしました。空に浮かぶ雲が自由で美しく、未来は明るいと感じるのです。その空模様を見ているだけで胸が拓き、心ときめくのです。今でもサンクトペテルブルグの空は心にあります。

 

以前エカテリーナの本を夢中で読みました。とても近しく感じます。エルミタージュ美術館を見学致しました。ある展示物を見ている時に、イランで作る予定のカフェはこの様なインテリアがいいと感じ、写真を撮っておきました。そして、同行したイラン人に、こういうカフェができたらいいと話していたのです。もちろん、展示されている様な豪華なものは使えないにしましても、イメージとしたら、この様なものがいいと伝えておいたのです。エルミタージュ美術館では琥珀のコーヒーカップを購入してきました。イランで作るカフェを心に描き、琥珀のコーヒーカップも素敵だと感じたのでした。ホテルの素敵なラウンジにて、イランのテヘランに作るカフェの名前を皆で考え、話し合いました。いだきしん先生が一言「麗」という字を示して下さいました。私の名前の「高麗」の「麗」の方です。雄と雌の鹿が2頭並ぶ姿が地上の美のシンボルと言われている由来を表しています。イランはイスラム教の国家ですので、男女が一緒に同席する事やカフェに入る事は禁じられています。男女の仲が良い事が平和のシンボルという意味も含め、いだきしん先生が「麗」という字をご提案下さいました。私はもちろん大喜びで大賛同でした。ペルシャ語では「RAZE REY」と聞きました。テヘランのカフェの名前は「RAZE REY」と決まりました。サンクトペテルブルグを後にし、テヘランへと向かいました。テヘランでは、カフェRAZE REYの準備に追われました。テヘランの家具屋さんを全部回り、サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館で見た椅子やテーブルを探しましたが、似た様なものですら一つもありませんでした。全ては、簡易なものよりなかったのです。装飾が施された家具もなかったのです。私は、どうしたらいいのかと考えました。テヘランの家具屋さんにある様な家具を置いても、カフェのイメージがまるで生まれなかったのです。どうしたらいいのかと考えている時に、一緒に家具屋さんを回ってくれた、ペルセポリスの舞台を作って下さった建築家のイラン人が、ご自身が作って下さると申し出て下さったのです。何とありがたい事かと喜びお願いしました。RAZE REYの家具はその建築家の方が作って下さいました。丸いテーブルの真ん中に私の作った心模様ペンダントやブローチ、作品を展示できる様に作って下さいました。ガラス越しに見えるのです。コーヒーを飲みながら心模様作品を眺めるカフェとは、とても素敵なカフェになると心が躍りました。そして、食器は私が心模様を描いたものを使う事になりました。日本から運ぶのは大変ですので、テヘランで心模様を描く事にしました。焼き付けする窯がテヘランにあるかどうか探して頂き、何とか見つけて頂いたので、焼き付けもテヘランで出来る事になりました。面白い作業となります。私は、日本に帰ったらテヘランのカフェに展示する作品を作ろうと心が浮き立ちました。テヘラン市内の中心部から少し離れた所のショッピングモールの中にありました。ここにNPO高麗のカフェが出来る事は面白いと感じ、とても楽しみになりました。テヘランでは、何と副大統領の許可で私が「高句麗伝説」を開催する事を許可されたのです。そして、男女が共に参加出来るというイラン革命後初のコンサート開催が許可されたのです。人間の内面が変われば、制度や法律は変わらざるを得ないと常々いだきしん先生からお聞きしていました事が実現出来たのです。エチオピアコンサートの時に男女の境をも解かれ、ずっと内にありました、女だから出来ないとか、今まで男性社会の中で差別されてきた事が解かれたのです。イスラム教徒の多かったエチオピア政府の内閣の大臣方が実行委員になって下さり、一緒にコンサート開催に向かい取り組んで下さいましたが、常に私の席は末座であったので、いつも胸の内は不愉快な感じが拭えなかったのです。コンサートにて解放されました。それ以来は、どの様な扱いを受けても気にならなくなったのです。その後、イランに行く機会が訪れましたので、イランではエチオピアよりももっと厳しく、イスラム法が実施されていましたので、スカーフも必ず被らなければいけなかったり、膝下までの衣類を着る事、体を隠す衣類である事を厳しく法律により定められていました。名刺を出しても受け取ってもらう事もなく、挨拶を交わす事もありませんでしたが、私の心は何もなく平穏であったのです。エチオピアの時は、なぜと疑問が湧いたり抵抗を抱いたりという事があったのですが、その様な事は一切なくなったので心健やかにイランでは過ごす事が出来たのです。その結果がイラン革命後初の男女が共に参加出来る「高句麗伝説」開催となったのです。何という事でしょうかと人間の内面が変わる事が社会を変える事と大いなる希望を抱きました。続く…。