「2008年5月、京都から始まりました」。この言葉が生まれてならない5月でした。私は、初めて京都文化博物館別館ホールにて「心模様作品展」を開催したのです。2月の寒い冬の夜に、この会場で「大地の声」を開催しました。とても寒く、暗い会場の中で重い、冷たいエネルギーを身に受けながら、大変しんどい状態で「大地の声」にて詩を詠んだのです。終わる頃、いだきしん先生のピアノの音が大地の底の暗闇の中に、針の先程の光として灯ったのです。光は地の底に届きました。始まりました。生命躍動し、終わった後に、私はスタッフに「この会場を一週間空いている時があったら押さえておいて下さい」と頼んだのです。その事をすっかり忘れていた3月の末になり、会場側から何をするのかと問い合わせがありました。私は、すっかり忘れていましたので何の事が理解出来ずにいました。漸く、あの時に生まれた気持ちであったと気づいたのです。何をしていいのか瞬時に頭の中を巡らしました。自分でも思いもかけず「心模様作品展」と叫んでいたのです。「心模様作品展」をする為に一週間予約してほしいと言ったのだという事をやっと受け止めました。思い出したというよりも、その時は何をするのか考えていなかったのです。一応会場さえ押さえておいて頂ければ、何でも出来るという気持ちでいたのです。急いで「心模様作品展」の準備を始めました。会場の図面を送って頂き、何を展示するかスタッフと打合せをしていました。その時、この先は何かと考えました。ただ一週間「心模様作品展」を開催するだけの為に行うとは、私には考えられなかったのです。心を澄ますと、この先は「高句麗伝説」と見えました。瞬時に会社に電話をし、京都に「高句麗伝説」コンサートを開催出来る会場があるので連絡をとってほしいと頼んだのでした。自分ではどの会場の事か知りもしないのに、丁度いい会場があると話していたのです。そして、スタッフはその会場を見つけ、空き日を聞いてくれたのです。私は「ここだ」とすぐに分かりました。そして、空いている日を予約してもらったのです。その時、「高句麗伝説」のチラシも同時に作る事を始めました。自然に口走っていたのは「京都は、好太王様だから」との表現だったのです。根拠もないのに、その様に見えたのです。私が真の自分に出会った好太王陵にて自分の姿が映る写真を「高句麗伝説」のパンフレットに使わせて頂きました。自分で「好太王様」と呼んでいる写真です。真の自分に出会った時、好太王様の魂にも出会ったのです。「出会ったら、共に生きていきたい君。出会ったら、永遠に共に生きてゆく。」との詩が生まれました。出会ったら、永遠に共に生きていきたい君は、好太王様です。心模様作品展と「高句麗伝説」のパンフレットを用意し、5月に京都へ向かいました。
いだきしん先生の車に乗せて頂き向かいました。いだきしん先生は道中「何をするのか」と何度も尋ねました。私は正直な所、何をするかは分からなかったのですが、心模様タペストリーを展示する事だけは分かっていましたので、その様にお答えさせて頂きました。いだきしん先生は何度も「何をするの」と尋ねてこられました。私は、同じ事を答えるばかりでした。京都の会場に着きました。既にボランティアスタッフが大勢お手伝いに来て下さり、皆でタペストリーを展示する準備をしてくれていました。縮緬に描いたタペストリーのカバーとなる生地に糸で作品を縫い付けて下さっていたのです。そして、私が到着すると同時に立ち上げが始まりました。何メートルものタペストリーが1本、2本、3本と立ち上がり、最後は会場を囲む様に立ち上がった時は壮観でした。歓声が上がりました。そして、この会場に入って来た人は皆、歓声を上げ、瞳の色が変わるのです。