好太王陵にて真の自分に出会った瞬間、その瞬間をいだきしん先生が撮影してくださっていました。日本に帰った時プリントアウトして頂いたその写真を見た瞬間、胸深く動き懐かしさに涙こみ上げ「会いたかった人に出会えた喜び」と言葉が生まれました。自分の姿が写る写真を見て、会いたかった人と表現することはどのような意味なのかとドキドキ胸がときめきながら考えました。私はいつも真の自分に出会いたくて人に会いに行ったり、色々行きたい場所に行ってきた人生であったと考えます。いだきしん先生に出会い、生まれつきの運命 解放され生命の深奥に輝く真の光を取り戻した時、私は真の自分で生きることを望んでいたとよく分かりました。いつも本当の自分は何なのかと考えていたからです。自分の内には色々な人が居るように感じ、色々な性格があることがいつも苦しくてならなかったのです。どの自分に焦点を合わせたら、私は私らしく生きていけるのかと悩み続けてきたのです。いだきしん先生に出会い、親や先祖から受け継いだ生き方が性格や気質となっていることが一つ一つ紐解かれるにつれ、自分の性格や気質で生きられない状態が苦しかったのだと分かりました。運命解放され、母の胎内に発生した瞬間の光を取り戻し生き始めた人生が真の自分を活かす真の人生です。いだきしん先生に出会って運命解放され、真の光を取り戻してからは真の人生を生きていますが、好太王陵で真の自分が全身となったと表現したい感覚となったのです。この社会で生きることは真の自分を全面に表すことは中々出来なかったのかと考えます。が、好太王陵にて、空間とひとつである生命を体感しました。真の自分そのままが空間とひとつであるので自分を隠したり、取り繕う枠など作ることはなく、あるがまま生きれば最も良いのだと分かり、最も安堵し安らぎました。最も出会いたかったのは真の自分だったのかと考えると、今までの人生の道が見えてくるのでした。好太王陵から好太王碑の所まで歩いて行きました。ガラス張りとなっていて、以前のようにそのまま石碑を見ることはできませんでした。淋しい気持ちがしました。ガラスや建物に囲まれてしまった好太王碑は、何か高句麗時代の空気まで消されていったような感じがしました。1998年に直接この目で石碑を見ることができましたことはありがたいことであったと感じました。
将軍塚も1998年に初めて行った時とは、周りの風景が変わっていました。やはり世界遺産となり整備されている中で将軍塚があったのです。前は野原の中にある古墳でした。同じ古墳でも周りが野原であるのと整備されているのでは違う所に来たかと最初感じる程違うように見えました。
私は高句麗時代のまま残る野原にある将軍塚や、普通の民家の中に突然現る好太王碑がとても好きです。整備されると、高句麗時代の空気がそのまま残ることはないと感じます。私は高句麗の地を歩くことが大好きです。歩いているだけで喜び生まれ、生きている実感に満たされ幸せでなりません。何気ない野原の道も魂震えるほど好きな光景です。一つ一つ胸に刻むように眺めます。好太王様や高句麗人が同じ大地に立ち、同じ風に吹かれ、同じ風景を見ていたと考えると愛しさがこみ上げてくるのです。
集安市の方々とのミーティングにて、「高句麗伝説」開催の可能性を見出し、大変嬉しい出会いとなりました。10月1日は古代高句麗では天を祀る日です。10月は天を祀る月と聞いてきましたが、集安市でもそのことをお聞き致しました。今でも10月に高句麗祭りを行うとお聞きしました。高句麗祭りの時に高句麗劇場で「高句麗伝説」を開催することはとても良いと集安市の方がおっしゃってくださったのです。私は嬉しくて嬉しくて夢のようと感じ、やれるなら心からやりたいと喜びいっぱいでした。そして高句麗劇場の下見にも連れて行って頂きました。ロビーには高句麗古墳の壁画の絵が描かれています。