世界伝説 第60弾

ヨルダンからローマ経由でブルガリアに初めて行きました。ソフィアの空港に着いて初めて触れる空気に緊張しながらも、とてものどかで緩やかな時が流れているような空間でしたので心は落ち着きました。ホテルに着き少し休んだ後、ホテルのラウンジに在ブルガリアのシリア大使が私達を訪ねて来て下さいました。「高句麗伝説」のフォトブックやDVDをお持ちになっておられました。お会いするなり、「私を貴方のファンの一人にして下さい」とご挨拶なさったのです。なんて素敵なご挨拶をされる御方であるのでしょうかと私は大変驚き、喜び、初めての経験に何とお答えしたらいいのかと戸惑ったのでした。シリアの人にお会いすると、聡明さにいつも驚くのです。この様におっしゃる言葉一つ一つが叡智に溢れていると感じています。日本でお会いした在日本シリア大使館の方も私の心を見抜き、エチオピアのコンサートのご案内に行ったにも関わらず、パレスチナの事を考え、エチオピアでコンサートをなさるんですね、とおっしゃって下さったのです。この様な表現ができる方にお会いでき、私はとても嬉しくて生きていく希望が生まれてくるのでした。シリアの文化大臣も素晴らしい御方でした。そしてブルガリアでお会いしたシリア大使も、大変明るく気さくで聡明な御方でした。ブルガリアでシリア大使にお会いできるとは驚きました。ガジ教授のお知り合いでいらしたので、ガジ教授が呼んで下さったのです。

素晴らしい出会いから始まったブルガリアの滞在です。夜になり、私はいつも戸締りを気にする癖があります。子供の頃から何度も戸締りをし、確認しないと夜休めないのです。この時も戸締りを確認しようとしましたが、窓が高くて恥ずかしながら私の身長ではとても届かない所に窓があったのです。ブルガリアの方は背の高い方が多いのかと感じていました。椅子を持って来て椅子に上り、窓の鍵を確認したのです。ベッドに眠り、休んでいる時、私はこの窓からとても強く逞しく勇ましく美しい騎馬隊が入ってくるのが見えたのです。夢か現かと眠りながらおぼろげに考えてはいましたが、余りに神聖なる騎馬隊の姿にただ驚くばかりで、強い衝撃を受けました。夢とは分かっていたようで飛び起きたりすることはなかったのです。朝になり、衝撃はずっと残っていました。その衝撃は心地良いもので、嬉しい感覚が広がっているのです。夢であっても余りにリアルな経験でした。騎馬隊の御姿、馬まではっきりと鮮明に見えたのです。ソフィアの街からブルガリア各地を回りました。草原が広がる美しい地です。初めてトラキアの地であったと知りました。私が夢で見たと感じたのは、トラキアの騎馬隊だったのです。その美しさに心惹かれ、トラキアの事を知りたくなりました。そして今まで知らずに生きてきた事を恥じました。アレキサンダーの騎馬隊であったとも聞きました。戦えば強いので勝つ事は分かっていても、争いを繰り返す事を好まず、自ら滅んでいったという事も聞きました。故に歴史上表に出て来ないのだという事も分かりました。この存在を知らずに生きてきた事を心から申し訳なく感じました。

トラキアの古墳に入った時、私は涙ほとばしり溢れました。死は神聖なものであり、死を皆で共に過ごし、死者を送り出して行った光景が見えました。その光景は愛でした。そして永遠でした。聖なる魂はこの空間に光となって永遠に存在する事をトラキアの古墳にて経験しました。死は恐れるものでも悲しむものでもない、共に生き、共に在り続ける事を生まれて初めて経験したのです。

日本では、死が近くなると家族が葬儀の相談をしているとの話をよく聞きました。いだきしん先生は「生きているんだから生きている生命ときちんと共に居る事」という事をいつも私に話して下さいました。父が倒れた時、医師は死を宣告しました。私は泣き崩れ、受け容れられなかったのです。その時いだきしん先生は、「お父さんは生きているんだから、生きているお父さんと共にいなさい」とおっしゃって下さったのです。私は「そうだ、父は生きている」と目が覚めたのです。生きているのに何故死を予想するのかと、何と愚かで恥ずかしい人間かと心の底から悔い、涙しました。日本では医療費や葬儀代と、お金で死を換算する話をよく聞きました。そうなってしまった事は悲しい事と生命の奥から涙がほとばしり溢れたのです。死はお金で計れるものでもない、こんなにも神聖で、皆と生命ひとつで生きている状態であるのにと、トラキアの古墳では泣き続けたのです。そして人間になる事が必要と身に沁みたのでした。忘れられないトラキアの魂との出会いです。続く…。