世界伝説 第54弾

2006年、年が明けて1月は、再び北京からエチオピアへ行きました。今までは、日本からバンコクに行き、バンコクで長い時間待ち、エチオピア航空に乗り継いで行ったのです。北京経由ですと、北京で降りて、中国での活動の打合せをする事が出来ます。私はとても嬉しく感じ、この時も北京で降りて私の代理人と打合せをし、とても嬉しい気持ちでエチオピアへ向かったのです。この年、中国でコンサートを開催する事やカフェを作る事が具体的にやっていける動きが見えてきました。そして、エチオピアへ行き、エチオピアでは、ゴデの水の浄化装置の話し合いが引き続きなされました。同時に、コーヒー会社の社長さんと壮大なコーヒービジネスの話が始まりました。

コーヒー会社の社長です

エチオピアにて、焙煎工場を作ったり、カフェを作るというプランでした。エチオピアには焙煎工場が一つもありませんでしたので、もしエチオピアで焙煎工場が出来たら、それは大変素晴らしい事と喜んで頂きました。当時は、カフェオープンの時には、エチオピアのカフェでお餅つきをしよう、という話をしていました。その時には、臼や杵を日本から持ってきたり、もちろん、もち米も持ってこないといけないという事を本気になって考えていたのです。設計図を描き、社長さんと本気になってやる気で取り組み始めたのでした。社長さんと合弁会社を一緒に作る事となりました。エチオピアで焙煎工場とカフェを作る事が出来れば、とてもエチオピアの役に立つと現地の方々は大喜びでした。自分もそれが出来るならば、ありがたい事と考え、実現に向かっていく事をずっと取り組んできました。

 

コンサート後のエチオピアは、皆様家族の様に迎え入れて下さいます。いだきしん先生の事は、皆様よく知っていらっしゃいます。コンサートを開催した時は、本名「斎藤忠光」というお名前でしましたので、皆様は「Mr. Saito」とおっしゃいます。エチオピアコンサート後に、世界へ向かうという時に「いだきしん」というアーティスト名に変えたのです。その時、自分は何かをずっと考えている時に、突然「いだきしん」という先生のお名前が見えたのでした。「いだきしん」というお名前は、いだきしん先生が人間とは何かの答えを見つけた時に、その事を忘れない様にと「いだきしん」というお名前を創ったとお聞きしています。「いだき」とは、人間とは何かの答えを見つけた時の音を表し「しん」は何もない状態とお聞きしました。人様には「今と未来を抱くいだき」という事でお話すればいいと、いだきしん先生から教えて頂いています。私がお会いした頃は「いだきしん」という名刺と「斎藤忠光」という名刺をお持ちでいらっしゃいました。私が通っていた所は「いだき総合研究所」という名前が名刺に書かれてありました。2001年エチオピアでのコンサートを終え「いだきしん」というアーティスト名と変わり、コンサート活動をするようになったのです。コンサートをした時、また、した後は日本人は皆「Mr.Saito」と呼ばれていました。そして「Mr.Saito,Thank you.」と必ずエチオピア人に声をかけて頂きました。エチオピアでカフェが出来るならば、素晴らしい事と考え、何とか成功すればいいという気持ちで一杯でした。

エチオピアから、また北京へ向かい、北京で降りて一泊し、日本に帰るのです。北京でも打合せが出来、私が最もやりたい事が進んでいく事が、とても嬉しくて、心が充実していました。北京でもカフェを作る予定でいました。私の代理人はカフェの候補地をずっと探してくれています。コーヒーから色々な事が出来る事は、本当に凄い事と感じる展開となりました。飢餓の支援活動からはじめたコーヒービジネスが、中国でも出来るならば、私の夢は広がります。北京からエチオピアへ行く旅のコースは、私にとって自分の天命を実現する道と考え、とても嬉しく、心ときめき旅をしました。続く…。