2002年8月にはエチオピアからタンザニアへと行きました。タンザニアに行く事になりました経緯は、駐日エチオピア大使からタンザニア大使をご紹介されたのです。タンザニア大使は、エチオピアで開催した大きなコンサートをタンザニアでもして欲しいと私達に依頼されました。私は、大変嬉しいお話でありましたが、すぐにお受けする気持ちにはなれなかったのです。エチオピアコンサートで全精力を使い果たしました。再び、同じアフリカの地で開催する困難さを考えますと、すぐに向かっていく気力が生まれなかったのです。いつもであれば、喜び即答する話が少し躊躇い、時間が必要と感じていたのです。それでもタンザニア大使は、とても熱心に私にお声を掛けてくれたり、時々電話をして下さり「高麗さん、遊びに来ませんか」と誘って下さいます。色々な折にお会いする中で、やはり一度はタンザニアに行かねばならない気持ちとなってきました。丁度、エチオピアコンサート後にエチオピアに行く予定が立ちましたので、エチオピアからタンザニアへ行く事に致しました。エチオピアでは、干ばつの地ゴデの水の浄化装置について、政府の方々や地元ソマリ州の知事さんはじめ、役人の方にお会い致しました。エチオピアでは何をするにも、物事が進みません。困難だらけなのです。どんなに話し合っても、すぐに事が進む動きにはならないのです。エチオピアコンサートを開催出来ました事は、奇跡と感じています。世界に必要なコンサートなので、大いなる存在、神々、あらゆる存在が総動員で働きかけて下さったと感じています。普通であれば、動かない様な事が動いていったのです。もちろん、私達も全身全霊で取り組みました。予定通りコンサートを開催出来ました事は、本当に神と出会う経験でした。ゴデの水の浄化装置は、何度話し合っても進まないという現状に、いつもやり切れなさ、時に苛立ちを感じてしまいます。それでも、何度も何度も話し合いを重ねて、何とか出来る様にと努めました。井戸を掘る運動はありますが、井戸水を飲んで子供が死ぬという現実を政府の人は訴えてきました。「それはそうです」と頷くばかりです。故に、浄化装置が必要なのです。子供が綺麗なお水を飲んで、伝染病にかからず、皮膚も荒れずに、健やかに生きて欲しいと心から願います。水が綺麗であれば、沢山の子供が助かるという事は何度もお聞きしています。また、私もゴデに行っていますので、水がないという事はこの目で見てきました。所々、海外のNGO団体が寄付した浄化装置がありますが、既に壊れていて使えないという事を聞きました。何より必要なのは、水の浄化装置と聞きました。私達は、ゴデに流れる川も見、そこで取り付けられている装置も見てきました。とてもこれでは追いつかないという事は、素人の私でも一目で分かる状況でした。何とか水の浄化装置を付けられればいいと願うばかりで、根気よく話し合いを重ねていました。その為にエチオピアに行ったのです。また、もう一つ私は、コーヒービジネスを依頼されましたので、エチオピアでもカフェがあればいいと考え、その下見や話し合いもありました。
コンサート後にエチオピアに行ける事は、とても楽しみでありました。エチオピアコンサートをした後は、会う人、会う人が皆「Mr. Saito, thank you」と声を掛けてきました。いだきしん先生は、エチオピアコンサート前まで本名「斎藤忠光コンサート」として開催してきました。エチオピアコンサートが終わり、世界中に発信するコンサートを開催する時が来たと感じ「いだき しん」というアーティスト名でコンサートを開催する事になりました。いつも泊っています、シェラトンホテルのスタッフは瞳を輝かせ、皆「お帰りなさい」と大歓迎してくれました。既に、家に帰った様な温かいぬくもりに包まれるホテルとなりました。