世界伝説 第31弾

2002年8月にはエチオピアからタンザニアへと行きました。タンザニアに行く事になりました経緯は、駐日エチオピア大使からタンザニア大使をご紹介されたのです。タンザニア大使は、エチオピアで開催した大きなコンサートをタンザニアでもして欲しいと私達に依頼されました。私は、大変嬉しいお話でありましたが、すぐにお受けする気持ちにはなれなかったのです。エチオピアコンサートで全精力を使い果たしました。再び、同じアフリカの地で開催する困難さを考えますと、すぐに向かっていく気力が生まれなかったのです。いつもであれば、喜び即答する話が少し躊躇い、時間が必要と感じていたのです。それでもタンザニア大使は、とても熱心に私にお声を掛けてくれたり、時々電話をして下さり「高麗さん、遊びに来ませんか」と誘って下さいます。色々な折にお会いする中で、やはり一度はタンザニアに行かねばならない気持ちとなってきました。丁度、エチオピアコンサート後にエチオピアに行く予定が立ちましたので、エチオピアからタンザニアへ行く事に致しました。エチオピアでは、干ばつの地ゴデの水の浄化装置について、政府の方々や地元ソマリ州の知事さんはじめ、役人の方にお会い致しました。エチオピアでは何をするにも、物事が進みません。困難だらけなのです。どんなに話し合っても、すぐに事が進む動きにはならないのです。エチオピアコンサートを開催出来ました事は、奇跡と感じています。世界に必要なコンサートなので、大いなる存在、神々、あらゆる存在が総動員で働きかけて下さったと感じています。普通であれば、動かない様な事が動いていったのです。もちろん、私達も全身全霊で取り組みました。予定通りコンサートを開催出来ました事は、本当に神と出会う経験でした。ゴデの水の浄化装置は、何度話し合っても進まないという現状に、いつもやり切れなさ、時に苛立ちを感じてしまいます。それでも、何度も何度も話し合いを重ねて、何とか出来る様にと努めました。井戸を掘る運動はありますが、井戸水を飲んで子供が死ぬという現実を政府の人は訴えてきました。「それはそうです」と頷くばかりです。故に、浄化装置が必要なのです。子供が綺麗なお水を飲んで、伝染病にかからず、皮膚も荒れずに、健やかに生きて欲しいと心から願います。水が綺麗であれば、沢山の子供が助かるという事は何度もお聞きしています。また、私もゴデに行っていますので、水がないという事はこの目で見てきました。所々、海外のNGO団体が寄付した浄化装置がありますが、既に壊れていて使えないという事を聞きました。何より必要なのは、水の浄化装置と聞きました。私達は、ゴデに流れる川も見、そこで取り付けられている装置も見てきました。とてもこれでは追いつかないという事は、素人の私でも一目で分かる状況でした。何とか水の浄化装置を付けられればいいと願うばかりで、根気よく話し合いを重ねていました。その為にエチオピアに行ったのです。また、もう一つ私は、コーヒービジネスを依頼されましたので、エチオピアでもカフェがあればいいと考え、その下見や話し合いもありました。

コンサート後にエチオピアに行ける事は、とても楽しみでありました。エチオピアコンサートをした後は、会う人、会う人が皆「Mr. Saito, thank you」と声を掛けてきました。いだきしん先生は、エチオピアコンサート前まで本名「斎藤忠光コンサート」として開催してきました。エチオピアコンサートが終わり、世界中に発信するコンサートを開催する時が来たと感じ「いだき しん」というアーティスト名でコンサートを開催する事になりました。いつも泊っています、シェラトンホテルのスタッフは瞳を輝かせ、皆「お帰りなさい」と大歓迎してくれました。既に、家に帰った様な温かいぬくもりに包まれるホテルとなりました。

エチオピアからタンザニアへ行きました。タンザニアは、同じアフリカでもエチオピアとはまるで違う空気でした。

お顔立ちも全く違います。今考えれば、当たり前ですがアフリカといっても様々である事を、タンザニアに行った時には驚いたのでした。タンザニアでは外務大臣にお会いする予定でした。日本からタンザニア大使もお越し下さり、一緒に外務大臣に会いに伺いました。平和の為のコンサートを開催する事に賛同し、とても喜んで下さいました。エチオピアで開催した時の様に現地の踊りや歌があったら良い、というお話がありました。エチオピアでは、現地のダンサーや歌手が出演したのですが、私はこれからは、いだきしん先生の単独のコンサートが良いと感じていました。それは、いだきしん先生は人や自然、その地の状態を全て引き受け、身に受け、生命ひとつになり解放の為の表現を即興演奏でなさいます。平和の為に過去の歴史が解放され、人間の内面が解放される事が根源解決という事を分かって今までも開催してきましたので、単なるコンサートではないという事を、お会いする方々にはお伝えしてきました。外務大臣にもこの事をお伝えさせて戴きました。「従来の音楽によって、平和を創る事は出来ない」とはっきりと申し上げてしまいました。「それが故に、平和を創る為には、いだきしん先生の即興演奏のコンサートが必要です」と申し上げました。外務大臣は、そのまま話を聞いて下さり、いだきしん先生の単独のコンサート開催のご承諾を下さいました。外務大臣の部屋を出た時に、いだきしん先生は笑っておっしゃいました。「外務大臣に、あれだけはっきり物を言う人は貴方ぐらいだよ」と。私も思わず笑ってしまいました。私は海外に行くと、特に物事をはっきり言う様にしています。遥々訪れたという気持ちがあります。言い残す事もなく、妥協する事もなく、自分が伝えたい事を全て伝えきるという事をいつも目指してきました。日本では、はじめの頃、その場に合わせて言う事を控えたりする事もありました。それは、生命にとっては間違いである事が、体の違和感や苦しみによって気付かされたのです。きちんと伝えたい事を表現する事が生きる事、という事を沢山経験しました。伝えたい事を伝えきり、受け容れられなければ、話は成立しないのです。タンザニアでも伝えたい事を伝えきり、承諾頂きましたので、コンサート開催が決定致しました。またもう一つ、コンサートを開催した一番の理由は、タンザニア政府の方がおっしゃった言葉からです。タンザニア大使からもお聞きしていましたが、タンザニアは世界で最も野生動物が生息する自然環境豊かな地です。キリマンジャロの麓は、病気の人も治るという癒しの地といわれています。が、ザンジバル島では奴隷貿易が行われた痕が色濃く残っていると聞きました。「タンザニアで起こる犯罪の原因は過去である」と。奴隷貿易を行った子孫と行われた子孫がぶつかり合い、犯罪が起こっている事を聞きました。それ故に「人間の内面から過去が解放されない限り、延々と犯罪は繰り返され、歴史は繰り返され、平和は創れないので、いだきしん先生のコンサートがタンザニアには必要です」と政府の方からおっしゃって頂いたのです。この事を聞き、断る理由は一つもなく、また断ったら人間ではないとは明らかな事でした。タンザニアでコンサートをする事は決まりました。続く…。