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母の命日に寄せて

 

人生で最もこの時が来る事を恐れ生きてきました。幼い頃、親が死んだら私も死ぬ、というのが口癖でした。生命ひとつにつながっていた母が亡くなった時、自分の身が裂かれる様でした。泣いても泣いても涙が込み上げ、枕元を濡らす、という表現が本当の事なのだと身にしみわかる夜を過ごしました。「高句麗伝説」にて母の詩を詠む時、号泣してしまい、涙が止まらなくなるのです。人間が生まれてくる意味、生まれたら死んでいくという生命のはたらき、死はどの様な意味があるのか等々、毎日考え過ごしました。目に見える世界にはいなくても、本当にいないのかと内面を感じると、魂は存在している事を確かに感じるのです。そして母は私が苦しい時、いつも夢に現れ、風や香りとなって現れます。魂は共にある事をわかる様になりました。そして人間は死んでも終わらない存在であり魂は永遠である事もわかる様になりました。母と父の死により内面を中心とする新しい人生が始まりました。内面を中心に生きる時、未来が見え、未来を予知し、何をするかが自然とわかる様になってきました。そして、会いたかった先祖高句麗始祖、東明王様や好太王様、若光王様の魂と語り合えるようになりました。国を創り、国を拡大した王の魂との語らいは、天の意がわかる語らいであり、人智を超えたはたらきかけを感じる経験の連続でした。生きている人とは、これ程豊かに語り合える事はないとも感じ、魂との語り合いは、意味深く生きる道を見出し、生きる糧となりました。魂は、いだきしん先生の存在をわかる様に導いてくれました。生きる事は更に深まり、豊かになるばかりです。母の命日である7月28日に迎賓館にて、いだきしん先生のピアノコンサートを開催させて戴きました。悪魔が支配する様なこの世の不合理な仕組みに、いつも憤りや悲しみを感じ生きてきました。今まであるものによっては打ち克つことも解決する事もない事は痛い程わかる年月でした。今日は、ここで生きれば勝てると真の道が見えました。見えたばかりではなく生命は経験しました。この世の歪みや汚れ、重荷を背負い、身を痛める生き方は今日で終わり、と宣言します。愛に満ち、やさしい大いなる存在とつながり生きる事を生命で経験しました。母の命日は忘れられるわけがない日であります。今日この日の経験は決して忘れる事なく必ず活かして生きていきます。ありがとうございます。

比叡山/迎賓館にて