レバノンでは、まず文化大臣にお会いしました。前の夜から入念に準備をし、服装を整え、隙なくと心掛け、自分では完璧にと目指し身支度を整えました。文化大臣がいらっしゃる建物は、私が宿泊しているホテルの前にあります。前にあっても危険で道を渡る事は出来ず、タクシーを呼んで行ったのでした。見える所ですので、すぐに到着し、いよいよ文化大臣とお会いする時が来ました。残念ですがお会いした瞬間、出会いを感じなかった事が気になりました。駐日レバノン大使の時はお会いした瞬間、出会いを感じ、心触れ合ったのです。文化大臣の時は心触れ合う感じがない事が気になりながら、私は話はじめました。完璧にと目指したが故に、とても説明的な話をしてしまいました。文化大臣は私の話は理解して下さったとの事ですが、心触れ合う感じがなかったので物事が進む事はないと感じ、私はがっかりし引き上げてきたのです。話の上では、否定された訳でも断られた訳でもなく、理解を示して下さっていましたが、自分は魂が動かなかったと感じたのです。遥々レバノンまで来ましたが、私にとっては不発に終わり、拍子抜けしてしまいました。この後何をしたら良いのかと戸惑ってしまったのです。一緒に行った仲間が、南部のティールが解禁になったと知らせてくれました。8月に来た時は戦争中で行けない地であったという事を後から知らされました。私は、南部のティールが何処なのか、何があるのか分からないのに「それは行かなくてはいけない」と即答しました。とっても良い所に行く気持ちになりました。心が浮き立ってなりませんでした。出発する時にホテルのエスカレーターで文化大臣とすれ違いました。ご縁はある方なのだと感じ、このご縁が動きに繋がるのかどうかと考えながらホテルを出発した事をよく覚えています。南部に向かうにつれ、海は青く輝き、空は澄み高く、風は爽やかで甘い香りがします。オリーブの木が見えて、鮮やかな花が水の雫がこぼれる様に咲きあふれています。魂震える光景です。ティールに着き、フェニキアの遺跡を回りました。
海に向かう時の風の心地良さ、漂う空気、全てが魂震えてなりませんでした。海が苦手な私も、フェニキアの海は愛おしく、美しいと感じ、恐怖感が生まれません。とても近しい、愛しい海と感じます。いつまでも海からの風に吹かれ、ここに居たいと感じ、ただここに居るだけで幸せを感じました。いだきしん先生が「もう行く」と合図をしました。私は「ずっとここに居たいですね」と言いました。先生は「居ればいいじゃない。自分達は帰るから。」とおっしゃったので、私は慌てて帰る方向に歩いていったのです。去り難い気持ちで、それでも心地良い風に触れ、この瞬間瞬間を愛おしく、大事に感じました。遺跡の前の御家はレバノン特有の小さな鮮やかな花が咲き誇っています。この御家に住む人は、毎日フェニキアの遺跡を庭の様にし生き、暮らしていける事が羨ましいと感じ、心に残りました。