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いだきしん先生の存在がわかれば自分の人生の意味も生まれて来た意味もまるで裏が表にひっくり返るように今まで見えなかった裏側が見えるように、表にあらわれていることの裏や背景が見えてくるのです。10日に府中での無観客のコンサートにて高句麗始祖朱蒙様、東明王様を表現して頂いてから、今まであらわることのなかった真があらわる予感が生まれ、その兆しを感じています。本日の迎賓館でのコンサートでも朱蒙様のお話、高句麗の戦い方のお話があり、その後のピアノの演奏の迫力はただ事ならぬものがあり、歴史は変わり、世界は変わることを宣言しておられるようでした。その迫力は有無を言わさぬ迫力であります。真があらわる時、今日の演奏を前にしたように有無を言わさぬ真とし立ちあらわるのでしょう。まもなく高句麗の真があらわる予兆を感じ、歴史の一大事の場面に立ち合うことに備えるような気持ちになっています。明日からの「高句麗伝説」に備えています。明日13日は誕生日です。五月晴れの美しい日に生まれたといつも聞いてきましたが、明日は曇り空のようです。いつにない天候からも、今までの誕生日とは違うことが起こることに新しい人生が拓かれると感じています。全てはおおいなる働き掛けを受け生きていきます。起こることは受け容れ、先を拓くことを考え、先を創ります。これからはおおいなる存在と完全にひとつに生きる人生を生きていきたいと望みます。今日の演奏からは弓を射るとは神と一体でなければ射ることはできないことを経験しました。生命が賭かっているのです。神と一体でなくしては到底できないことです。生きることは常に生命賭けであります。それ故に人知を超えた存在、おおいなる存在と一体となる美しい心身でなければ生きていけないとわかります。新しい真の人生のはじまりです。今日も誕生日のお祝いに美しい芍薬の花を頂きました。ありがとうございます。

比叡山/NPO高麗迎賓館にて